酒井重知とは? わかりやすく解説

酒井重知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/18 18:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

酒井 重知(さかい しげとも、元和4年(1618年) - 元禄10年11月11日1697年12月23日))は、江戸時代旗本下総国生実藩の嫡子だった人物。酒井重澄の長男。母は井上正就の娘。通称、牛之助、午右衛門、徳兵衛。養子に酒井重矩(金森頼直五男)、酒井重英(井上正任五男)がいる。

寛永10年(1633年)父が勤務怠慢との理由で改易されたため、父の実家である飛騨国高山藩主の伯父金森重頼にお預けとなり、金森姓を称する。承応2年(1653年)に許され、翌年2000俵を給された。この際、再び酒井姓に改めている。元禄3年(1690年)に致仕し、家督を養子の重英に譲った。元禄10年(1697年)、80歳で死去。法名は又言。

子孫は2000石の旗本として存続した。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「酒井重知」の関連用語

酒井重知のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



酒井重知のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの酒井重知 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS