酒井忠英_(子爵)とは? わかりやすく解説

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酒井忠英 (子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 10:21 UTC 版)

酒井忠英
さかい ただひで
生年月日 1898年9月28日
没年月日 (1942-01-21) 1942年1月21日(43歳没)
出身校 東京商科大学卒業
(現・一橋大学
前職 実業家
所属政党 研究会
配偶者 酒井惇子
親族 父・酒井忠亮(貴族院議員)
義父・藤堂高成(貴族院議員)
伯父・六郷政賢(貴族院議員)

在任期間 1940年4月27日 - 1942年1月21日
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酒井 忠英(さかい ただひで、1898年明治31年)9月28日[1] - 1942年昭和17年)1月21日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院子爵議員。旧名・正夫[1]

経歴

子爵酒井忠亮の二男として生まれる[1][3]

1923年(大正12年)東京商科大学を卒業[2]1924年(大正13年)横浜正金銀行に入行[2][3]。その後、内外食品取締役、同監査役などを務めた[2][3]

父の死去に伴い、1928年(昭和3年)10月15日、子爵を襲爵した[3][4]

1940年(昭和15年)4月27日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し、死去するまで1期在任した[2][7]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、647-648頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録』第13版 上、さ109-110頁。
  4. ^ 『官報』第544号、昭和3年10月16日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
  6. ^ 『官報』第3991号、昭和15年4月30日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、51頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 上、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
酒井忠亮
子爵
敦賀酒井家第2代
1928年 - 1942年
次代
酒井忠武



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