近藤重直とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 近藤重直の意味・解説 

近藤重直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/02 03:17 UTC 版)

近藤 重直(こんどう しげなお、慶長17年(1612年) - 貞享2年4月13日1685年5月15日))は江戸時代旗本

信濃国近藤藩近藤政成の長男。母は柘植氏。正室は井上氏の娘。子に重信、高郷、重興、徳永昌本がいる。通称は織部正。幼名は百千代。初名は重堯。号は道休。

生涯

元和4年(1618年)12月13日、将軍徳川秀忠に拝謁し、12月16日父の遺領10,000石の内、幼少を理由に半知減封となり信濃国高井郡5000石のみを相続し、寄合に列する。残りの美濃国5,000石は伯父の下野烏山藩堀親良に与えられ、重直成人までの後見役を命ぜられる。

元和5年(1619年)5月、福島正則高井野への左遷転封を受けて、伊那郡に替地され、立石知行所が成立。同年、江戸城紅葉山堀の普請を承る。

寛永11年(1634年)、将軍徳川家光上洛の際、板倉重昌に属して供奉する。寛永20年(1643年)4月29日、甲府城在番を命じられ、翌年帰謁する。明暦3年(1657年)3月15日、秀忠の娘千姫、家光の正室鷹司孝子の御殿造営の作事奉行を務め、のちに山王社の造営を承る。

天和2年(1682年)5月29日に致仕、貞享2年(1685年)に没する。享年74。浅草の海禅寺泊船軒に葬られた。子孫は幕末まで旗本として存続する。

出典

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近藤重直」の関連用語

近藤重直のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近藤重直のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの近藤重直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS