宮城豊盛とは? わかりやすく解説

宮城豊盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 03:54 UTC 版)

宮城 豊盛(みやぎ とよもり)は、安土桃山時代武将大名江戸時代初期の旗本豊臣家の譜代家臣。徳川秀忠御伽衆。初名は定勝(さだかつ)で[7]慶長元年(1596年)に豊臣姓を与えられた時も、定勝を名乗っていた[7]


  1. ^ a b c d 堀田 1923, p. 324.
  2. ^ 子孫の宮城和中の系図に長次に名を改めたとある[1]
  3. ^ a b 桑田 1971, p. 103.
  4. ^ 堀田 1923, p. 317.
  5. ^ 姓は「宮木」とするものもあり[3]、古文書にも宮木長次郎との署名が多いが、『寛政重修諸家譜』では家祖が陸奥国宮城の住人であったことが姓の由来としている[4]ので、略字か。
  6. ^ 山崎片家の子。豊盛の婿養子。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 高柳 & 松平 1981, p. 244.
  8. ^ 堀田 1923, p. 318.
  9. ^ 大日本史料11編14冊74頁。
  10. ^ 大日本史料11編26冊補遺500頁および11編16冊307頁。
  11. ^ 大日本史料11編27冊補遺500頁、11編26冊補遺544頁、11編17冊421頁。
  12. ^ 史料綜覧11編912冊133頁。
  13. ^ 『寛政重修諸家譜』に慶長4年4月16日とあるのは誤り[7]
  14. ^ a b 史料綜覧11編913冊171頁
  15. ^ 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜 第6輯』國民圖書、1923年、746-747頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082716/382 国立国会図書館デジタルコレクション 
  16. ^ 『寛政重修諸家譜』の徳永寿昌の項に、朝鮮行きは五奉行等の命令であり、秀吉の遺命であると言い含められが、寿昌はそのような大命が全うできるか困惑し、家康に上奏してその指示を仰ぎ、家康の指示で現地に詳しい宮城豊盛を連れて行ったとしている[15]
  17. ^ 史料綜覧11編913冊236頁。
  18. ^ 堀田 1923, pp. 324–325.


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