桑山貞晴とは? わかりやすく解説

桑山貞晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 14:06 UTC 版)

 
桑山貞晴
時代 江戸時代前期
生誕 慶長9年(1604年
死没 寛永6年9月29日1629年11月14日
別名 主殿(通称
戒名 法性院殿大源紹用大居士
墓所 東京都練馬区桜台広徳寺
官位 従五位下加賀守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
大和御所藩
氏族 桑山氏
父母 桑山元晴
兄弟 清晴貞晴栄晴岡部宣勝正室
本多康紀
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桑山 貞晴(くわやま さだはる)は、江戸時代前期の大名大和国御所藩2代藩主。官位従五位下加賀守。同名のおじがいる。

略歴

初代藩主・桑山元晴の次男として誕生。元和6年(1620年)、父の死去により跡を継ぐ。正室は本多康紀娘。

元和9年(1623年)、従五位下加賀守に叙任される。しかし寛永6年(1629年)に継嗣のないまま26歳で死去した。

貞晴は弟・栄晴末期養子として継がせようとしたが認められず、御所藩は廃藩、幕府領となった。

しかし父・元晴の功績に免じて、翌年6月に栄晴が名跡を相続することのみは認められ、寛永11年(1634年)には500俵を給され、子孫は1000石の旗本として存続した。

参考文献





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