桑山直晴とは? わかりやすく解説

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桑山直晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 02:17 UTC 版)

 
桑山 直晴
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 慶安3年 (1650年)
死没 正徳4年8月10日 (1714年9月18日)
改名 直晴→宗罷 (法名)
別名 内蔵助、十左衛門、十郎右衛門、主殿
墓所 広徳寺
幕府 江戸幕府旗本 小姓組番士、進物番、桐間番、小姓小普請、火事場目付
主君 徳川家綱綱吉家宣家継
氏族 桑山氏
父母 父:桑山栄晴、母:河野松安の娘
藤堂良直の娘
孝晴元武元如、横田奉松室
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桑山 直晴 (くわやま なおはる)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

経歴

桑山栄晴の子として生まれる。寛文12年(1672年)5月26日に小姓組番士となり、延宝5年(1677年)10月29日より進物番を務める。延宝7年(1679年)7月9日、父の遺跡を継ぐ。天和元年(1681年)、本多忠平宇都宮藩に移封された際、佐久間信就と共に現地に赴いて城の引き渡し役を務めた。元禄元年(1688年)、松平信輝預かりとなっていた酒井萬千代(酒井忠能の養子)が死亡した後の5月29日、川越藩に赴いて検使を務めた。元禄2年(1689年)2月27日に桐間番に転じ、3月14日に小姓となるが、10月21日に役目を解かれて小普請となり、元禄3年(1690年)2月26日に再び小姓組に入った。元禄10年(1697年)7月26日、常陸国筑波郡茨城郡下野国那須郡芳賀郡の4郡で1000石の所領を賜る。同年9月18日より火事場目付となり、元禄13年(1700年)1月23日の同職廃止まで務めた。正徳4年(1714年)8月10日、65歳で死去。

系譜

参考文献




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