とくがわ‐いえつぐ〔トクがはいへつぐ〕【徳川家継】
有章院(徳川家継)霊廟二天門
名称: | 有章院(徳川家継)霊廟二天門 |
ふりがな: | ゆうしょういん(とくがわいえつぐ)れいびょうにてもん |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1438 |
種別1: | 近世以前/神社 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1930.05.23(昭和5.05.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 東京都 |
都道府県: | 東京都港区芝公園3-3 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 三間一戸八脚門、切妻造、銅瓦葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 享保2(1717) |
解説文: |
徳川家継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 13:43 UTC 版)
徳川 家継(とくがわ いえつぐ)は、江戸幕府の第7代将軍(在任:1713年 - 1716年)。
注釈
- ^ 過去にさかのぼれば鎌倉時代の惟康王(後の惟康親王)が数え3歳で征夷大将軍に任ぜられており、家継はそれに次ぐものである。
- ^ 家継の幼名・鍋松から、間部(間鍋)詮房が父という説があるが、俗説で信憑性は低い。
- ^ 家継の死により、徳川将軍家における第2代将軍・秀忠以来の血統は断絶となった。ただし、秀忠の血統は家継が死んだ時点では会津松平家と越智松平家でそれぞれ続いており、あくまで徳川将軍家の中で断絶となったのに注意を要する。
- ^ この時点では第3代将軍・徳川家光の男系子孫は残っており、家継の叔父にあたる松平清武とその子(家継から見れば従兄)清方が享保9年(1724年)に死去して断絶した。女系子孫では家光の唯一の娘千代姫の血筋が現在まで存続している。
出典
[続きの解説]
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