徳川家茂付き大奥女中とは? わかりやすく解説

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徳川家茂付き大奥女中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/31 15:44 UTC 版)

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徳川家茂付き大奥女中(とくがわいえもちつき おおおくじょちゅう)では、江戸幕府14代将軍徳川家茂に仕えた大奥女中を詳述する。なお紹介は史料上の最終役職順で羅列する。

上臈御年寄

万里小路(までのこうじ)


飛鳥井(あすかい、1818年 - 1888年)は、幕末の江戸幕府大奥女中。平松時門の娘。宿元は三枝靭負。 徳川家定の世子時代から上臈御年寄として西の丸に仕え、嘉永6年(1853年)家定が将軍となると本丸に移る。安政5年(1858年)家定が没すると、継いで将軍となった家茂付きの上臈御年寄筆頭となった。文久3年(1863年)11月隠居。慶応2年(1866年)家茂が没すると出家した。


花園(はなぞの、生没年不詳)は、幕末の江戸幕府大奥女中。宿元は本多主殿正。

出身は京都。上臈御年寄は公家の娘を出自とすることが多いので、花園も同様と思われる。文久2年(1862年)14代将軍徳川家茂の正室として下降した和宮に従って江戸城に入り、家茂の上臈御年寄を勤めた。文久3年(1863年)他の大奥女中らとともに大奥を解雇され、京都へ戻った。

御年寄

瀧山(たきやま)





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