桑山元稠とは? わかりやすく解説

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桑山元稠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 04:00 UTC 版)

 
桑山 元稠
時代 江戸時代前期-中期
生誕 慶安元年 (1648年)
死没 享保13年6月14日 (1728年7月20日)
改名 貞代→元稠→紹恵(法名)
別名 式部、猪兵衛
墓所 天真寺
官位 従五位下肥前守志摩守
幕府 江戸幕府旗本 小姓組使番、桐間番頭、持筒頭槍奉行
主君 徳川家綱綱吉家宣
氏族 桑山氏
父母 父:桑山貞寄、母:屋代忠正の娘
兄弟 元稠仁賀保誠尚室、堀直依室、都築為常室
松平乗次の娘
桑山元武室、石尾氏信室、興津忠禄室、土岐定武室、黒川盛章室、上杉知義室、仁賀保誠依室(桑山元武養女)、元陳
養子:元武
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桑山 元稠(くわやま もとしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

経歴

桑山貞寄の長男として生まれる。寛文12年(1672年)5月26日に小姓組番士に列し、貞享元年(1684年)7月19日に家督を継承する。貞享3年(1686年)2月28日、大久保忠朝小田原藩に移封される際、大田好敬と共に城の引き渡し役を務めた。貞享4年(1687年)3月25日に使番となり、12月25日に布衣の着用を許される。元禄5年(1692年)9月1日、松平直矩白河藩に移封される際、城の引き渡し役を務めた。元禄7年(1694年)6月28日に桐間番頭となり、元禄8年(1695年)12月11日に従五位下肥前守に叙任された。元禄14年(1701年)8月18日に持筒頭正徳5年(1715年)1月11日に槍奉行となる。享保4年(1719年)11月9日、職を辞して寄合に列し、享保5年(1720年)5月23日に致仕した。享保13年(1728年)6月14日、81歳で死去。

系譜

参考文献




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