桑山貞寄とは? わかりやすく解説

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桑山貞寄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 03:45 UTC 版)

 
桑山 貞寄
時代 江戸時代前期-中期
生誕 慶長18年 (1613年)
死没 元禄13年9月25日 (1700年11月5日)
改名 貞寄→可斎(隠居後)→宗賢(法名)
別名 猪兵衛、貞政
墓所 天源院
官位 従五位下丹後守、下野守
幕府 江戸幕府旗本 書院番使番、屋敷奉行、山田奉行
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 桑山氏
父母 父:桑山貞晴
兄弟 貞頼、貞利、貞勝、貞寄仁賀保誠政室、女子
屋代忠正の娘
元稠仁賀保誠尚室、堀直依室、都築為常室
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桑山 貞寄 (くわやま さだより)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

経歴

桑山貞晴の四男として生まれる。寛永13年(1636年)、兄・貞利の臨終に際して末期養子となることを希望したが認められず、所領を収公された。その後、寛永15年(1638年)12月25日に貞利の旧領のうち大和国葛上郡葛下郡の名跡を継ぐことを認められる。寛永16年(1639年)6月に書院番となる。承応元年(1652年)9月25日、目付代として米沢藩に赴いた。明暦2年(1656年)7月28日に使番となり、12月26日に布衣の着用を許される。明暦3年(1657年)屋敷奉行となって屋敷割の役目を務めた。寛文元年(1661年)5月1日、仙台藩に赴いて国目付を務める。寛文6年(1666年)3月1日山田奉行となり、12月28日に従五位下丹後守に叙任される。貞享元年(1684年)2月4日に職を辞して寄合に列し、7月19日に致仕した。元禄13年(1700年)9月25日、88歳で死去。

系譜

参考文献




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