小山藩とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 歴史民俗用語 > 小山藩の意味・解説 

小山藩

読み方:オヤマハン(oyamahan)

下野寒川郡小山藩名


小山藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/30 15:21 UTC 版)

小山藩(おやまはん)は、江戸時代前期の短期間、下野国に存在した藩。藩庁は都賀郡小山(現在の栃木県小山市)の小山城(祇園城)に置かれた。1608年に本多正純が3万3000石を与えられて成立したが、1619年に宇都宮藩に加増されて転出し、廃藩となった。

藩史

前史

小山は中世以来の豪族・小山氏の本拠地として知られ[1]、小山城(祇園城)の起源も小山氏の居館であるという[2]。天正2年(1574年)に後北条氏が小山秀綱の籠る小山城を攻め、以後小山城は後北条氏の北関東攻略の拠点として拡張された[2]。その後秀綱は後北条家に降って小山城に復帰するが[2]、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に結城晴朝(小山秀綱の実弟)に攻められて小山城は落城し、小山氏は改易された[2]。小山は結城晴朝秀康の支配下となった。

関ヶ原の戦いの後、秀康が越前福井藩に加増移封になると、小山は天領となった。

立藩から廃藩まで

慶長13年(1608年[注釈 1]本多正純が3万3000石で小山に入ったことから、小山藩が立藩した[3]

正純は徳川家康の謀臣として知られる本多正信の嫡子で、家康が大御所になると家康の側近として権勢を大いに振るった。家康没後は徳川秀忠に仕え、元和2年(1616年)には2万石を加増された。

元和5年(1619年)、正純は下野宇都宮藩15万5000石に加増移封となった[3]。これにより小山は宇都宮藩領の一部となり、小山藩は廃藩となったとされる[3]。その後、元和8年(1622年)に宇都宮藩主本多正純は改易された[3]。小山付近は古河藩領となった。

歴代藩主

本多(ほんだ)家

3万3000石→5万3000石。譜代

  1. 正純(まさずみ)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 慶長12年(1608年)ともされる[3]。「慶長13年(1608年)頃」と入封時期に幅を持たせて表現されることもある[4]

出典

  1. ^ 小山市のあゆみ”. 小山市. 2022年9月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 小山城”. 日本の城がわかる事典. 2022年9月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 小山藩”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2022年9月25日閲覧。
  4. ^ “初代小山藩主・本多正純の実像に迫る 小山市立博物館で企画展”. 東京新聞. (2019年11月14日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/21033 2022年9月25日閲覧。 

関連項目

  • 藩の一覧
  • 榎本藩 - 正純の弟・本多忠純が下野国内に封じられて成立した藩。石高は最大時2万8000石。寛永17年(1640年)廃藩。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小山藩」の関連用語

小山藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小山藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小山藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS