天野康景とは? わかりやすく解説

天野康景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/28 06:47 UTC 版)

天野 康景(あまの やすかげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名徳川氏の家臣。駿河国興国寺藩主。


注釈

  1. ^ 「宗門たりといへども、これをあらため無二の御味方に候して…」(一向宗門徒であるといえども、宗派を改め無二のお味方として仕え奉って…)と康景は改宗して家康に付いた[2]
  2. ^ 殺傷の下手人の召し出しを要求する天領代官・井出甚助と争いになり、更に逃げ戻った件の農民が家康に直訴に及んだとされる問題[3]。家康は駿府に両人を召して言い分を聴いたが、「康景は非拠を論ずべき者にあらず、如何さまにも訴ふる者の偽る所にや」(康景は根拠の無い事を論ずるような者ではない。どう見ても訴えている者の偽り事ではないか)と考え、一旦は処断を保留して康景の元に正純を遣わした[4]
  3. ^ 「土民なりといへども公の民なり、和殿が兵は私の人なり、…和殿いかで私の義をたてんとて、公の威を損ずべきようやある、…」(地元民といっても公儀の民であり、貴方の兵は私兵である。…貴方がたとえどのように自分の義を立てようとしても、どうして公儀の権威を損ねるような仕方があろうものか…)[4]
  4. ^ 康景は「…直きをまげて曲れるに随はん事、素懐にあらず…」(正しきを曲げて間違った事に従うのは、自分の常の心掛けと異なる)として、「忽ちに興国寺の城を去って逐電し訖んぬ」(すぐに興国寺の城を去って行方をくらましたのであった)[3]

出典

  1. ^ 村上直 1982, p. 151, 天野康景.
  2. ^ 煎本増夫 1998, p. 89.
  3. ^ a b 新井白石 1968, p. 219.
  4. ^ a b 新井白石 1968, p. 220.
  5. ^ 渡辺誠 1990, pp. 74–75, 天野康景.


「天野康景」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天野康景」の関連用語

天野康景のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天野康景のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天野康景 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS