植村正勝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 植村正勝の意味・解説 

植村正勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 04:41 UTC 版)

 
植村正勝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文4年(1535年
死没 文禄元年2月4日1592年3月17日
別名 才蔵、庄右衛門
戒名 道覚
墓所 西蓮寺(神奈川県横浜市
主君 徳川家康
氏族 植村氏
父母 植村正忠
兄弟 神谷六郎兵衛室、正勝
小林重次の娘
正元、正朝、正次、阿部重吉室
テンプレートを表示

植村 正勝(うえむら まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代武将徳川家康の家臣。

生涯

幼少期から徳川家康に仕え、天文21年(1552年)のは18歳で御前で不届き者を捕らえた。永禄6年(1563年三河一向一揆が蜂起すると、浄土真宗から浄土宗に改宗して一揆勢と戦った。後に軍奉行に任じられ、3000貫の地を与えられた。天野康景高力清長とともに三河三奉行に任じられたともいう。また堀江城将、浜名城将を歴任し、姉川の戦いにも従軍する。元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いでは家康の逃走を警護して浜松城へ退き、天野康景と共に城門を守った。以後、長篠の戦い高天神城の戦い、小牧・長久手の戦いなどに参戦。家康が駿府に移った時は浜松城将として残る。天正18年(1590年小田原征伐では足柄の守備を任されたが、豊臣秀吉が女性たちを小田原へ招いた際には軍令に従ってこの通行を拒否した。そのため秀吉から怒りを買って改易となった。戦後は子の正元が相模鎌倉郡に所領を与えられたため、領内の柏尾に蟄居し、そこで余生を送った。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「植村正勝」の関連用語

植村正勝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



植村正勝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの植村正勝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS