植村正朝とは? わかりやすく解説

植村正朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 13:25 UTC 版)

 
植村正朝
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文10年(1670年
死没 享保14年10月27日1729年12月17日
戒名 真容院殿実誉道恵大居士
墓所 東京都文京区の無量院
官位 従五位下、土佐
幕府 江戸幕府 大番頭、大坂定番
上総勝浦藩
氏族 植村氏
父母 父:植村忠朝
兄弟 正朝、忠元
正室:酒井忠義の娘
恒朝、尚朝(五男)、
娘(最上義隆正室のち鳥居忠余室)、
娘(小笠原長恒正室)
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植村 正朝(うえむら まさとも)は、上総勝浦藩の第2代藩主。忠朝系植村家2代。

生涯

寛文10年(1670年)、初代藩主植村忠朝の三男として生まれる。長兄が病弱、また次兄が早世したために世子として指名され、元禄9年(1696年)8月、徳川綱吉小姓となる。同年11月に父が死去したため、元禄10年(1697年)2月10日に家督を継いだ。このとき、弟の忠元に丹波氷上郡1000石を分与したため、石高は1万石となる。宝永6年(1709年)3月、従五位下、土佐守に叙任する。

享保8年(1723年)5月、大番頭に任じられ、享保11年(1726年)には下総国小金原で行われた将軍徳川吉宗の鹿狩りに従う。享保13年(1728年)8月には大坂定番に任じられたが、在任中の享保14年(1729年)10月27日に大坂で死去した。享年60。

跡を次男の恒朝が継いだ。






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