うえむら‐まさひさ〔うゑむら‐〕【植村正久】
うえむらまさひさ 【植村正久】
植村正久 うえむら まさひさ
千葉生まれ(一説に東京生まれ)。明治大正期のキリスト教の指導者。牧師。父は旗本。明治4年(1871)以降横浜で英語を学ぶなかで宣教師の感化を受け、6年(1873)受洗。13年(1880)に東京下谷教会の牧師となる。20年(1887)番町一致教会(一番町教会、富士見町教会)を設立、生涯その牧師を務めた。その間13年(1880)小崎弘道らと『六合雑誌』を、23年(1890)独力で『福音新報』を創刊。36年(1903)には東京神学社(東京神学大学)を創立した。
- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 東京演説 / ジョセフ・クック著 ; 植村正久, 和田正義訳 高田九馬司, 明15.7 <YDM21058>
- 真理一斑 / 植村正久著 警醒社, 明17.10 <YDM20841>
- 諸大家基督論 / タウンセンド著 ; 植村正久訳 米国聖教書類会社, 明21.4 <YDM20763>
- 新撰讃美歌 / 植村正久等編 警醒社, 明21.4 <YDM21516>
- 聖経初要 / 植村正久抄訳 植村正久, 明21.4 <YDM20900>
- 聖書の鏡 / 植村正久著 植村正久, 明21.3 <YDM21684>
- 福音道志流部 / 植村正久著 米国聖教書類会社, 明21.4 <YDM21230>
- 基督教と仏教 / 池本吉治編 警醒社, 明22.4 (基督教文学 ; 第1集) <YDM20486>
- 基督のすがた / ゼームス・スタウカル著 ; 植村正久(謙堂逸人), 田中達訳 . 2版 南海堂, 明26.3 (基督教叢書) <YDM20577>
- 有神原論 / バオン(バウン)著 ; 植村正久訳 メソヂスト出版舎, 明27.11 <YDM21400>
- 信仰の友 / 植村正久著 警醒社, 明31.4 <YDM20794>
- 霊性之危機 / 植村正久著 警醒社, 明34.10 <YDM21447>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
植村正久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 12:36 UTC 版)
植村 正久(うえむら まさひさ、1858年1月15日(安政4年12月1日) - 1925年(大正14年)1月8日)は、日本の思想家・キリスト教の伝道者・牧師・神学者・説教家。号は「謙堂」あるいは「桔梗生」など。日本のキリスト教教会の形成に大きな役割を果たした植村は田村直臣、松村介石、内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。日本基督教会、日本のプロテスタントの指導者であり、後の日本のプロテスタントにも大きな影響を与え、全日本キリスト教会のプロテスタント教皇といわれた[2]。
- ^ 歴史が眠る多磨霊園
- ^ 小塩力『高倉徳太郎伝』新教出版社
- ^ 『植村正久文集』209ページ、英学校は東京に移転し、東京一致神学校になる。
- ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/187/jiho_187_04.pdf
- ^ 室田保夫 『山室軍平―無名ノ英雄、無名ノ豪傑タルヲ勉メン哉』 ミネルヴァ書房、2020年、55-56頁
- ^ 『キリスト者であることと日本人であること』p.175
- ^ 『日韓教会成長比較』p.111
- ^ 『日本プロテスタント教会史』p.142
- ^ 『井深梶乃助とその時代』2巻 p.366-390に議事録
- ^ 中村敏『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社
- ^ 中村敏『日本における福音派の歴史』いのちのことば社 p.37
- ^ 植村正久文集』p.210
- ^ 小野静雄『日本プロテスタント教会史(上)』p270-272
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』p.158 いのちのことば社
- ^ 本井康博 『新島襄と明治のキリスト者たち』 教文館、2016年、306頁
- ^ 季刊『at(あっと)』15号「特集 賀川豊彦 その現代的可能性を求めて」太田出版
- ^ 『植村正久とその時代』
- ^ 『中田重治伝』
- ^ 高野勝夫『キリスト教逸話例話集』P.152
- ^ 『現代のアレオパゴス』古屋安雄
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