よてい‐せつ【予定説】
予定説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:39 UTC 版)
予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。
- ^ 参考:ローマ人への手紙(ロマ書)8:29、9:15など
- ^ マーティン・ロイドジョンズ『試練の中の信仰』いのちのことば社
- ^ ジャン・カルヴァン『キリスト教綱要』改革派教会
- ^ アリスター・マクグラス『宗教改革の思想』教文館p.103-106
- ^ マクグラス『キリスト教神学入門』教文館p.608-610
- ^ 2.アルミニウス主義の台頭 - Ichinomiya Christian Institute Server
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派』いのちのことば社
- ^ 日本キリスト改革派教会歴史資料編纂委員会『日本基督改革派教会史』
- ^ 神学博士マカリイ著・上田将訳『正敎定理神學』326頁~330頁 正敎會編輯局
- ^ Cyril Lucaris (Encyclopædia Britannica)
- 1 予定説とは
- 2 予定説の概要
- 3 予定説を批判し受け入れない教派
予定説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:54 UTC 版)
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「カルヴァン神学の中心教義は予定説(二重予定説)である」というアレクサンダー・シュヴァイツァー(ドイツ語版)の学説は、マックス・ヴェーバーらに影響を及ぼした見方ではあるが、現在は支持されないという主張を行う者が現れているがその者の名前を知る者は多くはない。[要出典]「予定」の項目が現われるのは『キリスト教綱要』第3版からである。カルヴァンの中心思想を特定することは困難であるが、「神中心主義」などと表現されることが多くなった。 予定の教義は、カルヴァンの死後も後継者の手によって発展し、1619年、ドルト会議の「ドルト信仰基準」(ドルト信仰告白)などを経て、カルヴァンの死後約100年後のウェストミンスター教会会議(1643年7月1日 - 1649年2月22日)において採択された「ウェストミンスター信仰告白」(1647年)によって現代見られるような形で一応完成した。それ以来、改革派神学者の保守的陣営において、19世紀の終わりまでは二重予定論に関して、ウェストミンスター信仰告白の枠組みを抜本的に変えることを迫るほど新しく有効な議論が起こされた形跡はない。 しかし20世紀に入ると、カール・バルトが主著『教会教義学』等のなかでカルヴァンやウェストミンスター信仰告白の二重予定説を強く批判したのを受けて、それまでは保守的陣営にとどまっていた改革派神学者たち自身が、二重予定説の立論そのものについての抜本的な再検討へと動き始めた。 とくに、アムステルダム自由大学神学部で長く教鞭をとった改革派教義学者ヘリット・コルネーリス・ベルカウワーによる再検討は、抜本的なものであった。ベルカウワーは、神の予定の二重性は「非均衡的」であること、つまり、選びと遺棄は同等の強調を置かれるべきではないこと、また、「キリストにある選び」(Election in Christ) という点、つまり、予定論のキリスト論的側面を強調することが重要であることなどを主張した。 ただし、バルト自身の予定論(恵みの選びの教説)の大意は「神の御子イエス・キリストが十字架において遺棄されることによって、万人が選びに定められた」ということであり、人間のなかに救いへと選ばれる者と遺棄される者がいるとするカルヴァンの予定論とは全く趣を異にするものである。 カルヴァンは、職業は神から与えられたものである(職業召命観)以下キリスト教綱要より抜粋・・・最後に、主なる神は我々すべての者に、人生のあらゆる活動において、自分の使命を重んじなければならないことを、命じておられること、に注意しなければならない。………神は、すべての人に人生のあらゆる領域において、それぞれの特別な義務をお定めになった。………人が、自分の心配、苦労、困難、その他の重荷の何においても、神が自分の導き手であることを知っておれば、これらのことが、どんなに軽くされるかしれない。各個人はその重荷を神から背負わされるのである、ということが納得できれば、為政者は、自分の務を、一そう大きな満足をもって、自分の義務に専念するであろう……かくてまた、特殊な慰めというものが生れる、なぜならば、(われわれが自己の天職に従う限りは)余りに卑しく下劣で、到底神の御目の前において真に尊く見え、非常に重要には思われないというような仕事は、どこにもないからである。・・・ とし、得られた富の蓄財を認めた。この思想は、当時中小商工業者から多くの支持を得、資本主義の幕開けを思想の上からも支持するものであったとされる。[要出典]
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予定説
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「コルビーのラトラムヌス」の記事における「予定説」の解説
840年代-850年代に、ラトラムヌスはオルベのゴデスカールクス(803年頃-868年)の教説に関する論争に巻き込まれた。ラトラムヌスは830年頃に放浪教師がコルビー修道院に滞在した際に初めてゴデスカールクスに遭遇したとみられており、後には大司教ランスのヒンクマルスとゴデスカールクスが論争になった際にゴデスカールクスを支援している。ゴデスカールクスは一種の二重予定説を説き、神は選ばれた者と堕ちる者の両方を予定されたと唱えた。851年にヨハネス・スコトゥス・エリウゲナがゴデスカールクスの教えに対する反駁を委託されたが、彼の著書『神の予定に関する論考』は、あらゆる種類の予定説を根本的に否定しており、この否定がラトラムヌスやリヨンのフロールスの怒りを誘った。これに対する返答として、ラトラムヌスは二巻からなる著書『神の予定について』(羅:De Praedestinatione Dei)を執筆して二重予定説を弁護したが、罪も予定されているという考えには反対した。
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「予定説」の例文・使い方・用例・文例
- ジョン・カルバンの絶対予定説に反対して、人間の自由意志が神の主権と互換性を持つと考える17世紀の神学(その創設者J・アルミニウスの名をとって名づけられる)
- (厳格なカルヴァン主義の予定説の教義に反対した)オランダ人神学者ヤコブス・アルミニウスの教えを信じるバプテスト派信徒のグループ
- 厳格な予定説を信じたフランスの神学者ジャン・カルヴァンの教えを信じるバプテスト信徒の集団
- オランダ人のプロテスタントの神学者で、ジョン・カルバンの絶対的な予定説に反対したアルミニウス説を創立した(1559年−1609年)
- スイス人の神学者(フランス生まれ)で、信念(予定説、恩寵に抵抗できないこと、信仰による義認)により長老制を定めた(1509年−1564年)
- キリスト教における,予定説という考え方
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