エルサレム公会 (1672年)
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エルサレム公会(ロシア語: Иерусалимский Собор, 英語: Synod of Jerusalem)は、1672年にエルサレムで開かれた、正教会における公会議の一つ[1]。ベツレヘムにある降誕教会で開催されたことから、「ベツレヘム公会」[1](英語: Synod of Bethlehem)もしくは「ベツレヘムおよびエルサレム公会」(ギリシア語: Ἐν Βηθλεὲµ καὶ Ἱεροσολύµοις Σύνοδος[2][注釈 1])とも呼ばれる。エルサレム総主教ドシセオス2世によって主導され[3]、西方教会における宗教改革に対する正教の立場を明らかにした[1]。
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- ^ ギリシア語: Βηθλεέμは、古典ギリシア語再建音からは「ベートゥレエム」等と転写し得るが、現代ギリシア語においては「ヴィスレエム」が近い。
- ^ 本項では「かろうじて」という表現を採ったが、ドシセオス2世に対して正教会は肯定的であるものの、その評価の高さ(度合い)は微妙に分れる。高橋保行は、ドシセオス2世より後、18世紀後半に「正教修道精神のリバイバル」が起きたとしており、ドシセオス2世に対する評価としては「かろうじて正教の立場を明らかにしている」という表現を使っている。他方、Энциклопедия Брокгауза и Ефронаでは、ドシセオス2世が主導したエルサレム公会につき「東方正教会の重要かつ象徴的な文書の一つ」(один из важнейших символических документов православно-восточной церкви)が生み出されたと評価しており、「かろうじて」に類する表現はされていない。
- ^ a b c d e f g h i The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity, p267
- ^ Πατριαρχείον Ιεροσολύμων
- ^ a b Досифей Нотара - Энциклопедия Брокгауза и Ефрона
- ^ a b 高橋(1980). p116
- ^ § 17. The Synod of Jerusalem and the Confession of Dositheus, A.D. 1672.
- ^ a b Orthodox Answer To a Question About Council of Jerusalem, Con - Answer #481
- 1 エルサレム公会 (1672年)とは
- 2 エルサレム公会 (1672年)の概要
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