聖書学
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聖書学(せいしょがく、Bible study)は、聖書を対象に、文献学的方法、また人文科学的な(言語学、考古学、地理学等)諸方法を用いて本文批評をし、キリスト教の立場からすると、原初期の聖書とキリスト教を明らかにしようとする学である。分野は旧約聖書学・新約聖書学に分かれる。また、リベラルと聖書信仰は前提が異なる[1]。
批判的聖書学
新約聖書の例で言えば、
- 伝承の流れ(階層構造)からは、
- ナザレ村で生まれたイエス自身の教えの段階(イエスの神理解・信仰内容)
- それを口承で伝えた各社会層レベルでの信仰の段階
- その伝承を素材として各自の信仰を表現した福音書記者の段階
- 多くのキリスト教文書の中から新約の正典として抜き出した古代教会の段階
- 時代的にも、地理的にも、置かれている環境・宗教的状況も、異なっており、
- 西暦50年代のパウロの手紙
- 西暦70年代の最初に福音書というジャンルを創造したマルコによる福音書
- 西暦80年代のマタイによる福音書、ルカによる福音書
- 西暦100年前後以降のヨハネによる福音書、ヨハネの黙示録、パウロに仮託された手紙など
この各々の段階の信仰内容はどうであったのかを分析・研究し、明確にする。
この様に、批判的な聖書学では、新約聖書が示す信仰は多種多様であり、中には矛盾する内容を含んでおり、このため、「新約聖書はこう言っている」という形での総括はできず、乱暴な話であり、「マルコの信仰ではこのように言っている。しかし別の信仰では…」というような議論が必要であるとされる。
J・P・ガーブラー(1753年‐1826年)により、始まった。
保守系の聖書学
聖書信仰の立場はリベラル派とは前提が異なるので、聖書に誤りがあるとはとらえず、リベラルにおいて聖書の矛盾と呼ばれる個所は聖書の現象と呼ぶ[2][3]。
聖書学者
批判的な聖書学者にはユリウス・ヴェルハウゼン、田川建三らがおり、保守的な聖書学者にはジョン・グレッサム・メイチェン、F.F.ブルース、尾山令仁、内田和彦らがいる。
脚注
- ^ 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版
- ^ 『聖書の権威』
- ^ ロバート・チャールズ・スプロール Explaining Inerrancy: A Commentary
参考文献
関連項目
外部リンク
- 木幡藤子. “最近の五書研究を整理してみると” (PDF). 広島大学. 2010年5月7日閲覧。[リンク切れ]
聖書学
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19世紀には聖書学が進展した。青年ヘーゲル派のダーフィト・シュトラウスは1835年に『イエスの生涯』を発表し、福音書での奇跡を神話として批判的に研究した。後年、ニーチェから批判された。 エルネスト・ルナンは1861年にコレージュ・ド・フランスでの開講初日にイエスを「神と呼んでもいいほどに偉大なる比類なき人間」と呼んで講義が停止され、翌1863年、『イエスの生涯』を刊行した。なお、ルナンはフォイエルバッハの反キリスト教の立場やゲルマン主義には批判的であり、新約と旧約を分離する反ユダヤ主義者ではなく、1882年ハンガリーのティルツラル・エツラルでの儀式殺人事件には抗議し、ロスチャイルド家から資金を調達して反ユダヤ主義の標的にもなった。しかし、ルナンは初期イエスはユダヤ教の枠の中にあったが、ユダヤ共同体での論争の激しさの犠牲となり、イエスはユダヤ教を徹底的な破壊者となり、偏狭なユダヤ性を克服していったと論じて、ユダヤ教を拒絶した。ルナンやダーフィト・シュトラウスによって史的イエスの研究が展開していった。 ダーフィト・シュトラウスから大きな刺激を受けたユダヤ教改革派ラビのアーブラハム・ガイガーは『ユダヤ教とその歴史』(1865-71)で、イエスの教えはオリジナルなものではなく、パリサイ派の倫理の延長にあり、イエス教では天国崇拝が新しいだけであるとして、イエスはガリラヤ出身のパリサイ派ユダヤ人であるとした。ガイガーは、リベラル・プロテスタントの視線でユダヤ教の歴史を描き、パリサイ派を進歩派、サドカイ派を保守派とみた。ガイガーによるパリサイ派のサドカイ派の対立の図式は、モムゼンにも影響を与えた。ガイガーは、当時1870年代の文化闘争などでカトリックに対抗するドイツのプロテスタントやリベラルな国民主義に接近し、ラビのユダヤ教を改革することで、ユダヤ社会の近代化を目指した。 ユリウス・ヴェルハウゼンは『パリサイ派とサドカイ派』(1874)『イスラエル史』(1878)などで、モーセ五書の律法よりも預言者エレミヤの個人的敬虔を重視し、さらに『申命記』などの祭祀法典はバビロン捕囚後に成立したとみた。ヴェルハウゼンは、6世紀頃からユダヤ教は古代イスラエル宗教を圧迫し、祭祀階層が預言者をとどめを刺して、律法が固定されたとして、このことによってパリサイ派は権力を把握した一方で、精神的イスラエルとしてのキリスト教が成長したとみた。ヴェルハウゼンは、ニーチェ、ヴェーバー、フロイトにも大きな影響を与えた。
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