聖書外資料に基づく事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 02:19 UTC 版)
旧約聖書では暴君や暗君が相次いで現れたかのように描写されている北王国(イスラエル王国)であるが、その典型例とされるアハブの、聖書外資料[要出典]における事績は以下の通りである。 オムリの代から続いていた首都サマリヤの建設など、アハブは幾つかの町を建てた。 後に、アハブはシリアの王女イゼベルを妻に迎え同盟を強化した。イゼベルはシリアのバアル崇拝をイスラエルに導入した。これは近隣諸国の文化の移入であり、またイスラエルの宗教状況の国際化ともいえる。そして、シリア人やカナン人、フェニキア人との交流や同盟を通じて経済力と軍事力を増大させ、婚姻によりユダに影響力を行使し、ダマスコに並ぶ北パレスチナの地域大国としてイスラエルの地位を飛躍的に高めた。そのため、彼の治世下に於いて、イスラエルはシリアと同盟関係にある国々の中で重要な地位に立った。 アハブは、治世の終盤にダマスコなどの国々と同盟を結び、その上でアッシリアのシャルマネセル3世と戦い、攻撃を凌いだ(カルカルの戦い)。カルカルの戦いでは当時イスラエルのライバルであったダマスコも含め、北パレスチナの諸王国が同盟を結び、当時の超大国アッシリア帝国の侵攻を防ぐために戦ったが、この戦いでアハブは同盟の主催者ダマスコに次ぐ規模の10000の兵士と、同盟軍中最大となる2000の戦車隊を参加させ、連合軍の勝利に貢献した。カルカルの戦いが終わって間もない紀元前852年、ダマスコとイスラエルの間で争いが生じる。アハブはその戦いで命を落とすこととなった。 このように聖書外資料の中では、アハブは父オムリの政策を引き継ぎ、イゼベルの助けも借りながら周辺諸国との交流や同盟を通じて国力を増大させ、ユダに影響力を及ぼし、ダマスコに匹敵するほどの大国にまでイスラエルの地位を向上させた有能な王としての記載が見られる。
※この「聖書外資料に基づく事績」の解説は、「アハブ」の解説の一部です。
「聖書外資料に基づく事績」を含む「アハブ」の記事については、「アハブ」の概要を参照ください。
- 聖書外資料に基づく事績のページへのリンク