対立の図式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 13:43 UTC 版)
室町幕府は南北朝時代に関東統治のため鎌倉府を設置していた。この鎌倉府は足利氏出身の鎌倉公方とこれを補佐する上杉氏出身の関東管領に指導されていたが、関東管領の補任権は幕府が握っていた(実際の補任(任命)時には鎌倉公方の意向が認められていたが、幕府は当然これをいつでも否認することが出来た)。更に上杉禅秀の乱(後述)後に、山内上杉家が関東管領を独占するようになったが、山内上杉氏は関東の他に越後に広大な所領を有しており、更に分家は越後守護となっていた(越後上杉氏)。越後の山内上杉氏領と越後上杉氏は室町幕府の管轄下にあり、幕府は越後の所領安堵権及び守護補任権・関東管領補任権を利用して関東管領=山内上杉氏を支配することが可能であったため、関東管領は室町幕府の意向に従う存在となり、鎌倉公方と関東管領はしばしば対立していた。
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