原典との相違点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 02:39 UTC 版)
「楊家将 (北方謙三)」の記事における「原典との相違点」の解説
ほぼ別物と捉えたほうが適切で、細かな変更点を数え上げればきりがない。以下、大きな変更点を述べる。 原典では宋(北宋)の建国から物語が始まるところだが、北方版『楊家将』では楊業が北漢に将軍として仕えているところから始まり、陳家谷(原典では金沙灘)で楊業が戦死するところまでで終わる。続編の『血涙・新楊家将』では宋と遼との戦いが終結し、講和条約(澶淵の盟)が締結されるまでを描いており、それ以降の西夏、新羅との戦い、南蛮征伐までは描かれていない。これは、北方が妖術が入り乱れる後半を書きたくなかった、またあくまでも宋と遼との戦いの物語にまとめかったからであると言われている。 原典では楊業の7人の息子のうち、四郎延朗(石幻果)、五郎延徳、六郎延昭の3人しか生き残らなかったが、北方版では七郎延嗣も生き残ったことになっている。 原典ではあまり焦点の当てられない敵方である遼の描写が非常に充実している。そのため、物語に民族対立の図式が深く描かれており、遼は単なる悪役ではなくなっている。また、原作ではほとんど活躍しない耶律休哥が重要人物になっており、ほとんど主人公に次ぐ役割が与えられる。なお、遼の将軍となった石幻果こと楊四郎延朗の子孫が『楊令伝』に登場しているなど、僅かに物語に繋がりがある。 ハードボイルド色が強くなっており、とにかく男臭い内容にアレンジされている。逆を言えば、本来の『楊家将演義』は男よりはるかに強い女将軍が活躍する物語であるのに、女性陣の活躍は大幅に削られてしまっている。例えば楊業の妻で夫亡き後も戦場で大活躍する令婆こと佘賽花は戦場に立つことはなく、病弱な女性となっている。さらに、楊家将を代表する女将軍・穆桂英などは登場すらしない。
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