原典と成立背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 15:51 UTC 版)
「ミヒャエル・コールハース」の記事における「原典と成立背景」の解説
この作品はシュットゥゲンとクライジヒによるの著作『古文書による注目すべき上部ザクセンとその隣接国の歴史周囲』(1731年、ドレスデンおよびライプツィヒ)に記されている体制反逆者ハンス・コールハース(ドイツ語版)の行状記録を典拠としている。この書物の第三部のなかに「クール・ザクセン国の謀反人、コールハースについての報告、ペーター・ハフィッツのしたためし辺境領(マルク)の年代記より」という文書があり、馬の抑留にはじまる領主の不正からコールハースの襲撃、ルターとの面会から再審、処刑まで大筋はこれに拠っている。このほか同じ書物に言及されているニコラス・ロイティンガーの『マルクおよびブランデンブルクの歴史略記』も作品執筆に利用されたと考えられている。 この作品は1804年、クライストが友人のエルンスト・プフーエルからこの話を教えられ作品に仕立てたらどうかと示唆したことから着想され、1805年に執筆に着手したといわれている。別の友人の証言によれば、頑固一徹なコールハースの性格は作者クライストのそれの生き写しであるという。なお物語の後半には、ザクセン選帝侯とブランデンブルク選帝侯がジプシーに各々の将来を占わせ、そのうちのザクセン選帝侯の運命を記した紙がコールハースの手にわたり、彼は選帝侯本人に内容を知らせないまま処刑される、という、小説全体の流れからしてやや不自然なエピソードが加えられているが、これには当時ライン同盟に参加していたザクセン王家に対するクライストの不満が背景にあると見られる。
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