南蛮征伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:48 UTC 版)
遼との戦いから数十年が経過し、いまや楊家軍の当主となった楊宗保も既に白髪の老人となっている。その頃、南蛮で儂智高が反乱を起こし、狄青が派遣されるが敗れて帰ってくる。そこで、宋は楊家軍の楊宗保とその息子・楊文広を南蛮征伐に派遣する。最初は順調であったが、思いのほか楊家軍は苦戦すると、包拯の進言で楊家の女将軍が援軍に駆けつける。こうしてやってきた文広の姉、宣娘の仙術の活躍もあって、ついに楊家軍は南蛮平定に成功する。 史実においては儂智高のおこした反乱は狄青により平定されている。なお、『楊家将演義』において、のちのちも狄青は楊家軍に敵対する役割を与えられている。
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