神仙としての孔明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)
「三国志演義の成立史」の記事における「神仙としての孔明」の解説
このような軍事・道徳両面での高評価に加え、孔明には道教の仙人的なイメージが附加されていた。奇しくも三国時代に始まった原始道教(天師道)は、六朝時代以降に発展し、清廉で俗世から遊離した仙人・道士のイメージが知識人層に浸透した。若くから晴耕雨読の生活を送っていた孔明もまた、神仙的な色合いで語られるようになる。後述する葛巾・毛扇という道士的な衣装や、出身地の琅邪が天師道のメッカであり、始皇帝時代の徐福や孫策を呪った于吉など、古代より多くの方士を生み出してきた土地であることも、諸葛孔明と方士~道士~神仙イメージを結びつける一助となった。『平話』では、諸葛孔明の登場時にはっきりと「元々は神仙である」と言明し、超常的な魔術師として扱われている。 『演義』で孔明は、赤壁の戦いにおいて超人級の活躍をする。本来の勝利の立役者である周瑜を完全に脇役へ追いやり、その軍略的天才を発揮するだけでなく、『奇門遁甲天書』に基づき七星壇に祈ることで風をも自在に操る魔術師の姿を見せる。「借東風」はすでに『平話』でも描かれており、風を祈るという魔術師的な孔明像は、講談の中でできあがったものであろう。さらに南蛮征伐の段では、器械仕掛けの猛獣を作製し、羽扇で風向きを変えるなどのオーバーテクノロジーを駆使し、孟獲を七回捕らえ七回釈放(七縦七擒)するという離れ業も見せる。 孔明最後の仕事となる北伐においても、敵軍にわざと隙を見せる空城の計や、木牛・流馬なる摩訶不思議な器械で、魏軍を率いる司馬懿を翻弄した。そして超能力者・孔明の最後の魔術は、星座を観察して死期を悟り、北斗星に祈って自らの延命を図る段(第103回)である。この祈りは魏延の不注意で中断されてしまい、延命はできなかったが、かねて反目していた魏延と孔明の関係を利用し、後に魏延が乱を起こすことの伏線として巧みに配している。さらに超人孔明は死後すらも神通力を発揮した。孔明の死に乗じて攻め寄せた司馬懿を退ける兵法を遺し「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」ことに成功する。この「死諸葛走生仲達」は裴注に引く『漢晋春秋』が初出だが、楊儀・姜維らが司馬懿を迎撃したことに対し、孔明の軍令が行き届いていたことを讃える言葉であり、『平話』も同様だった。ところが『演義』においては、生前の孔明が「我が屍体の口に米七粒を含ませ、足下に行灯をともせば、我が将星は落ちまい」という道教儀式的な指示を出していたことにし、木像を用いて魏軍にまだ孔明が生きている様に思わせるという、大がかりな魔術で「知絶」の奇才を締めくくっている。加えて生前に魏延の叛乱をも予見し、馬岱に秘策を授けておくなど、死後まで道教的な神秘性を帯びた「知絶」の超人として描かれたのである。
※この「神仙としての孔明」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「神仙としての孔明」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。
- 神仙としての孔明のページへのリンク