晴耕雨読
読み方:せいこううどく
「三国志演義・劉玄徳三顧草廬」(いわゆる「三顧の礼」を描いた場面)に、諸葛みずから「乐躬耕于陇亩兮、吾爱吾庐、聊寄傲于琴书兮、以待天时」と述べるくだりがある。大略すると「自ら畝を耕し、この荒ら屋を愛し、琴書でいくらか心をなぐさめつつ、時機の到来を待っている」といった趣旨の台詞であるが、これを「晴耕雨読」の由来とする見解は少なくない。ちなみに「天时(天時)」には「天候」と「天命」の両方の意味がある。
「楽隠居」は「隠居して気楽に暮らす」という意味の語であり、「晴耕雨読」に通じる。田舎のイメージは特に伴わないが、 老後のイメージが伴いやすい。
文脈によっては「マイペース(な生活)」のような言い方も晴耕雨読の言い換え表現として挙げられる。晴耕雨読は「マイペースな生活」といえる。なお「マイペース」は和製英語である。
晴耕雨読とは、晴耕雨読の意味
晴耕雨読(せいこううどく)とは、いわゆる「悠々自適の田舎暮らし」を指す意味で用いられる表現。自然に逆らわず、晴れた日には外で畑を耕し、雨の日は家で読書でもして過ごす、というような暮らしぶりのこと。都会暮らしにありがちな「仕事や人間関係に煩わされる窮屈な生き方」の対極に置かれる、「自然に身を任せてのんびり暮らす」という理想像。晴耕雨読の語の由来・語源
晴耕雨読は、三国時代の諸葛亮が軍師として蜀軍に仕える以前の、荊州にて書生として生活していた頃の暮らしぶりを形容する表現としてよく用いられる。ただし「晴耕雨読」という四字熟語の直接の出典は定かでない。「三国志演義・劉玄徳三顧草廬」(いわゆる「三顧の礼」を描いた場面)に、諸葛みずから「乐躬耕于陇亩兮、吾爱吾庐、聊寄傲于琴书兮、以待天时」と述べるくだりがある。大略すると「自ら畝を耕し、この荒ら屋を愛し、琴書でいくらか心をなぐさめつつ、時機の到来を待っている」といった趣旨の台詞であるが、これを「晴耕雨読」の由来とする見解は少なくない。ちなみに「天时(天時)」には「天候」と「天命」の両方の意味がある。
晴耕雨読の語の使い方(用法)、例文
晴耕雨読の類語と使い分け方
晴耕雨読の類語としてまず挙げられるのは「悠々自適」であろう。「悠々」はゆっくりと落ち着いた状態を、「自適」は自分の心のままにのびのびと過ごすことを意味する。「晴耕雨読」は「耕す」という動作を含むため、田舎暮らしや家庭菜園を持つようなイメージを伴って用いられやすいが、「悠々自適」は状況が特に限定されないため、どのような状況・環境を指す意味でも使える。「楽隠居」は「隠居して気楽に暮らす」という意味の語であり、「晴耕雨読」に通じる。田舎のイメージは特に伴わないが、 老後のイメージが伴いやすい。
文脈によっては「マイペース(な生活)」のような言い方も晴耕雨読の言い換え表現として挙げられる。晴耕雨読は「マイペースな生活」といえる。なお「マイペース」は和製英語である。
晴耕雨読の英語
「晴耕雨読(の生活)」は、字面どおり英語に直訳しても意味は伝わりにくい。peaceful retirement (安楽な引退生活)とか carefree retirement (気ままな引退生活)、あるいは live an easy life in the countryside(田舎で気楽に暮らす)といった表現に言い換える工夫が求められる。晴耕雨読
「晴耕雨読」の例文・使い方・用例・文例
晴耕雨読と同じ種類の言葉
品詞の分類
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