対立の収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
委員の内訳は以下の通り(七戸克彦調べによる。一部補充)。 英法派・延期派:穂積陳重(民法・法例・戸籍法起草)、末松謙澄、三崎亀之助、元田肇、村田保、鳩山和夫、菊池武夫、土方寧、山田喜之助、奥田義人、岡村輝彦、江木衷、関直彦、大岡育造、神鞭知常、細川潤次郎、高田早苗、尾崎三良 英法派・断行派:島田三郎 英法派・不明:星亨(商法断行派)、阿部泰蔵、金子堅太郎、末延道成、鶴原定吉、内田嘉吉 仏法派・断行派:梅謙次郎(民法・商法起草)、高木豊三、箕作麟祥、長谷川喬、熊野敏三、本野一郎、井上正一(不動産登記法起草)、岸本辰雄、小笠原貞信、磯部四郎、山田東次、寺尾亨 仏法派・延期派:富井政章(民法起草)、木下広次 仏法派・不明:田部芳(商法・不動産登記法起草)、渋沢栄一、重岡薫五郎、富谷鉎太郎、河村譲三郎、小宮三保松、倉富勇三郎 独法派・断行派:本尾敬三郎・木下周一(法律取調報告委員)、横田国臣 独法派・延期派:河島醇、岡野敬次郎(商法起草)、穂積八束、伊東巳代治 独法派・不明:都築馨六、斯波淳六郎 国学・延期派:千家尊福、小中村清矩 儒学・延期派:三浦安 断行派:南部甕男、清浦奎吾 不明:中村元嘉、西源四郎、加藤正義 ただし、設立当初の主査委員は仏法8名、英法7名と拮抗している。また渋沢ら財界人は審議迅速化のため財産法審議から排除された。前述の通り、岡野は法典論争時は英法派。1891~1895年ドイツ留学。 衆議院議員経験者については、 政府系:末松・元田・大岡・神鞭・井上・関・磯部 自由党系:河島・三崎・山田東次・小笠原・星 改進党系:島田・高田・鳩山 余の初め断行論を唱へたる際、若し一旦延期に決したらんには…何時之が成功を見るべきか…大に疑いを抱きたり…然るに案ずるより産むが易きの譬(たとえ)の如く、初めの両派固執の弊は次第に滅却し、真正に其の規定の善悪を論じ大に此事業の進捗を得るに至りたり。 — 梅謙次郎「法典ニ関スル話」1898年(明治31年) さう云ふ激しい争ひをした者が綺麗に手を握って法典編纂をやった。それは結構な訳ですが、非常にすらりと行ったものですね。 — 穂積重遠 それは英法派の人も法典が嫌ひな訳ではないのですから、のみならず条約改正が目前に迫っている。 — 仁井田益太郎
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