重岡薫五郎
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重岡 薫五郎(しげおか くんごろう、元治元年1月3日[1](1864年2月1日) - 明治39年(1906年)6月21日[2])は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、弁護士。
- ^ 重岡忠三編『重岡薫五郎小傳』〔1954年〕。第2回衆議院議員総選挙出馬の際、被選挙権のない28歳であり、年齢を2歳ごまかしたことから、文久2年生とされていることが多い。愛媛県喜多郡内子町内子の禅昌寺にある重岡薫五郎の墓には「明治39年6月21日没 享年43歳」と記されており、生年は正しくは元治元年である。
- ^ 『官報』第6894号、明治39年6月23日。
- ^ 七戸克彦「現行民法典を創った人びと(27)組織改編後の委員5・6 : 倉富勇三郎・重岡薫五郎、外伝22 : Jバッジ」『法学セミナー』第56巻第7号、日本評論社、2011年7月、59-61頁、ISSN 04393295、NAID 40018830265。
- ^ 重岡薫五郎の資料 内子へ 町出身の明治期衆院議員 黒田清輝作の肖像画も 愛媛新聞 2016年4月16日
- ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
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