法典調査会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 19:17 UTC 版)
法典調査会(ほうてんちょうさかい)は、明治時代に内閣に設置された、法典の起草・審議・編纂を行なう機関である。通常、1898年(明治31年)の大規模再編を境に、前期と後期に区分される。前期法典調査会では現行民法典・商法典が創られるなど[1]、日本の法典整備に大きな役割を果たした。
- ^ ただし、その後も改正を繰り返しながら現在に至っている。
- ^ 星野(1943)176頁
- ^ 仁井田ほか(1938)16頁
- ^ 穂積陳重『法窓夜話』99話
- ^ 仁井田ほか(1938)29-30頁
- ^ a b 星野(1943)179頁
- ^ 星野通「三博士と民法制定 特に梅博士を中心としつつ」『法學志林』49巻1号、1951年、48-50頁
- ^ 仁井田ほか(1938)19頁
- ^ 仁井田ほか(1938)27頁
- ^ 福島正夫編『穂積陳重立法関係文書の研究』信山社、1989年解説52~57頁
- ^ 星野通「明治民法史に関する一資料」『松山経専論集』第7号、1949年2月
- ^ 川東靖弘『評伝 星野通先生 ある進歩的民法・民法典研究者の学者人生』日本評論社、2019年、208頁
- ^ 刑法改正審査委員会は1892年(明治25年)1月に設置されたもので、当初の委員長は三好退蔵であったが、翌月には横田国臣が委員長となり、横田が中心となって起草作業が進められた。
- ^ 仁井田益太郎によると、ほとんど発言のなかった者も、これらの人々が納得するものを作ることが必要であるということで、重要な役割を果たしたという。「仁井田博士に民法典編纂事情を聴く座談会」『法律時報』10巻7号25頁
- ^ 梅謙次郎「法典二関スル話」『国家学会雑誌』12巻134号542-543頁(国家学会、1898年)、穂積陳重『法窓夜話』96話
- ^ 七戸克彦「現行民法典を創った人びと(1) 〔図表2〕法典調査会発言回数ランキング」『法学セミナー』653号と「法典調査会の構成メンバー」『ジュリスト』1331号(有斐閣、2007年4月)を基に作成。
- ^ 主査委員会・総会・委員会・整理会での発言回数の合計。なお、実際には書記による朗読が相当数あるが、人名を特定できないため数に入っていない。
- ^ ただの「委員」となっているものは、主査委員・査定委員の区別が廃止された後に委員になった者を指す。
- ^ 当時大審院判事。磯部と並び、民法修正案原案を改良するのに貢献度が非常に高かったという。仁井田・前掲
- 1 法典調査会とは
- 2 法典調査会の概要
- 3 参考文献
- 4 脚注
- 法典調査会のページへのリンク