石渡敏一とは? わかりやすく解説

石渡敏一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 07:10 UTC 版)

石渡 敏一(いしわたり びんいち[注釈 1]1859年12月19日安政6年11月26日[1]) - 1937年昭和12年)11月18日)は、官僚政治家法学博士大審院検事司法次官貴族院勅選議員枢密顧問官法典調査会刑法起草委員。位階・勲等は正三位勲一等[2]江戸(後の東京)出身。石渡荘太郎の父。学校法人日本大学第一学園の創立の功労者。


注釈

  1. ^ 『慶應義塾入社帳 第1巻』676頁には「イシワタ トシカツ」とふりがなが付されている。慶應義塾に入った時点で本人が申告した姓名の読みである。
  2. ^ 『樞密院高等官履歴【第六巻】昭和ノ二、東京大学出版会、1997年、115頁によると、東京大学から「法学士ノ学位ヲ授与」されたのは1884年(明治17年)10月10日となっている。三田商業研究会『慶應義塾出身名流列伝』(実業之世界社、1909年)「石渡敏一」の項には「明治七年慶應義塾に入り九年卒業し、築地のマニラー氏に従ひて英学を修め、次いで大学予備門に入る」とある。『慶應義塾入社帳 第1巻』676頁は「社中ニ入タル月日」を明治7年9月3日と記している。付官立東京英語学校と東京開成学校普通科を合併し東京大学予備門が成立したのは1877年(明治10年)4月であり、新体制で学生を受け入れたのは同年9月の新学期からであった。東京大学予備門の4学年のうち、卒業まで2年を残す上級学年へ編入した可能性が高い。

出典

  1. ^ a b c 『日本近現代人物履歴事典』48頁。
  2. ^ 『官報』 第3267号 昭和12年11月20日 「叙任及辞令」
  3. ^ 『官報』第7337号、明治40年12月11日。
  4. ^ 『官報』第8639号、明治45年4月10日。
  5. ^ 『官報』第2177号、昭和9年4月7日。
  6. ^ 辰沢延次郎コトバンク
  7. ^ 石渡敏一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  8. ^ 『官報』第7377号「叙任及辞令」1908年2月1日。
  9. ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
  10. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  11. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。


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