石渡敏一
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石渡 敏一(いしわたり びんいち[注釈 1]、1859年12月19日(安政6年11月26日[1]) - 1937年(昭和12年)11月18日)は、官僚、政治家。法学博士。大審院検事、司法次官、貴族院勅選議員、枢密顧問官。法典調査会刑法起草委員。位階・勲等は正三位勲一等[2]。江戸(後の東京)出身。石渡荘太郎の父。学校法人日本大学第一学園の創立の功労者。
注釈
- ^ 『慶應義塾入社帳 第1巻』676頁には「イシワタ トシカツ」とふりがなが付されている。慶應義塾に入った時点で本人が申告した姓名の読みである。
- ^ 『樞密院高等官履歴【第六巻】昭和ノ二、東京大学出版会、1997年、115頁によると、東京大学から「法学士ノ学位ヲ授与」されたのは1884年(明治17年)10月10日となっている。三田商業研究会『慶應義塾出身名流列伝』(実業之世界社、1909年)「石渡敏一」の項には「明治七年慶應義塾に入り九年卒業し、築地のマニラー氏に従ひて英学を修め、次いで大学予備門に入る」とある。『慶應義塾入社帳 第1巻』676頁は「社中ニ入タル月日」を明治7年9月3日と記している。付官立東京英語学校と東京開成学校普通科を合併し東京大学予備門が成立したのは1877年(明治10年)4月であり、新体制で学生を受け入れたのは同年9月の新学期からであった。東京大学予備門の4学年のうち、卒業まで2年を残す上級学年へ編入した可能性が高い。
出典
固有名詞の分類
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