武富時敏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:22 UTC 版)
武富 時敏(たけとみ ときとし、安政2年12月9日(1856年1月16日)- 昭和13年(1938年)12月22日[1])は、明治から昭和にかけての政治家。第1次大隈内閣書記官長、第2次大隈内閣逓信大臣および大蔵大臣。佐賀藩出身。幼名は元吉郎。唇堂と号した。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』138頁。
- ^ 明治前期における佐賀県の中学校生馬寛信 研究論文集 / 佐賀大学教育学部 巻38号 1990-08
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第4530号「叙任及辞令」1898年8月5日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
- ^ a b 『人事興信録. 第13版(昭和16年) 下』武富敏彦
- ^ 『そして、風が走り抜けて行った - ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯』植田紗加栄、講談社、1997年、p86
固有名詞の分類
- 武富時敏のページへのリンク