椎名悦三郎とは?

椎名悦三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 05:58 UTC 版)

椎名 悦三郎(しいな えつさぶろう、1898年明治31年)1月16日 - 1979年昭和54年)9月30日)は、日本官僚政治家岸信介腹心[3] として満州国の運営に関わり、また商工次官として統制経済を推進、軍需次官も務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官岸内閣)、通商産業大臣(21代・30代)、外務大臣(94-95代)、自由民主党において政調会長総務会長副総裁を歴任した。田中角栄の後継の総裁として三木武夫を指名した「椎名裁定」は世人を驚かせた。椎名素夫は次男、血縁のない叔父に後藤新平がいる[注 1]




注釈

  1. ^ 父親の広は後藤家の婿養子であり、悦三郎は婿養子と後妻との間の子である[4]
  2. ^ 同期入省には重政誠之がいる[5]
  3. ^ 実業部は日本の商工省と農林省にあたる。部長は満州人であったが実権は日本人官僚の手に有った[7]
  4. ^ 日本の重要産業統制法は主要産業のカルテル結成を促して産業の合理化を企図していたが、満州の同法はその対極を企図している[9]
  5. ^ 川島正次郎は旧政友会前田米蔵に師事し、三好英之や野田武夫は旧民政党大麻唯男に師事していた。前田と大麻は翼賛政治会を取り仕切っていた[10]
  6. ^ 後年、椎名はこの時のことを振り返り、「あんまり警察が可哀相だから自首させたよ。」と述べている[24]
  7. ^ 公枝夫人は椎名の選挙で精力的に夫を支え、代理として椎名の立会演説会に登壇したことも有った[25]
  8. ^ 日韓国交正常化は交渉初期の段階から東アジア戦略としてアメリカが深く介入しており、実態はアメリカを含めた3国間交渉であった[30]
  9. ^ 請求権問題は1962年に大平正芳外相と金鍾泌中央情報部長官とで行われ、合意内容は無償3億ドル、有償2億ドル、民間協力1億ドルであった。また、漁業問題では両国の農相による会談により、李承晩ラインの撤廃、韓国沿岸12カイリの漁業専管水域の設置、その外縁に共同規制区域を設置して日本が漁業経済協力を行うことで合意されていた[28]
  10. ^ 帰国後の日本では椎名の韓国に対する謝罪について批判がなされた。これに対して椎名は「とにかく何回謝ってもいいのです」「謝れば謝るほどいい、それが日韓関係をよくするために必要なことだ」と釈明している[33]
  11. ^ 椎名は1月25日に訪韓の意向を表明していた[34]
  12. ^ ただし条約本文に韓国側が主張していた謝罪の文言を盛り込む事は見送られた。またこれにより戦後賠償の請求権が完了した事が明文化された。
  13. ^ この強行採決は佐藤の指示により行われた。衆議院の強行採決を取り仕切った船田と田中伊三次正副議長は、批准書交換式ののちにこの責任を取って辞任した[43][44]
  14. ^ 副総裁への就任要請は台湾への政府特使就任要請と同時に行われた。当時の椎名はなんの役職にも就いていなかった為、田中は台湾の体面を保つべく椎名を副総裁としたうえで政府特使に任じた[51]
  15. ^ 政治評論家三宅久之によると、椎名が三木を指名したのは、三木にこの裁定を辞退させることを予め内諾させ、椎名自身が総裁になるための算段であったが、三木がそれに従わなかったとされる[59]
  16. ^ この集まりについては、城山三郎『賢人たちの世』文藝春秋文春文庫〉、1994年1月。ISBN 978-4167139155に詳しい。
  17. ^ 本人たちは「ただ飯を食ってバカ話をするだけ」と語っていた[49]

出典

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