東條内閣
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東條内閣(とうじょうないかく)は、陸軍大臣・現役陸軍大将[注釈 2]の東條英機が第40代内閣総理大臣に任命され、1941年(昭和16年)10月18日から1944年(昭和19年)7月22日まで続いた日本の内閣。
注釈
- ^ 前の第20回衆議院議員総選挙が行われたのは1937年(昭和12年)4月30日であったため、本来の任期は1941年(昭和16年)4月30日までであった。しかし、1年間任期延長したため、1942年(昭和17年)4月30日に任期満了を迎え、同日、第21回衆議院議員総選挙の投票が行われた。
- ^ 大命降下時の階級は陸軍中将。内閣発足当日の10月18日に大将に昇進。
- ^ a b c d e f g h i 首相就任時から1942年(昭和17年)2月17日まで内相、陸相を兼任。内相兼任を免じられた後、同年9月1日から17日まで外相、陸相兼任。外相退任後、翌1943年(昭和18年)4月20日から23日まで陸相、文相兼任。文相兼任を解かれた後、同年10月8日から陸相、商工相兼任し11月1日から省庁再編により陸相、軍需相兼任。
- ^ 大東亜省設置に反対し、外相辞任。
- ^ 東京帝国大学医学部教授。
- ^ 東京急行電鉄社長。
- ^ 王子製紙会長。
- ^ 9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では「10月上旬頃までに対米交渉がまとまる見込みがなければアメリカに対して開戦すること」を規定していたが、昭和天皇は「これを白紙に戻して再検討すること」を命じた(白紙還元の御諚)。
出典
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和16年10月18日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和17年9月1日
- ^ a b c 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和17年9月17日
- ^ a b c d e f g h i j 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和18年4月20日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和17年2月17日
- ^ a b c d 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和16年12月2日
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和18年11月1日
- ^ 森山優 『日本はなぜ開戦に踏み切ったか 「両論併記」と「非決定」』 第4章 p.100 新潮選書 2012年6月20日
- ^ 福田和也 『悪と徳と岸信介と未完の日本』 産経新聞社 2012年4月 第19回『サイパン陥落』第20回『尊攘同志会』pp.228-246
- ^ 2013年8月17日23時NHKEテレ放送ETV特集「届かぬ訴え~空襲被害者たちの戦後~」
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