清浦奎吾とは? わかりやすく解説

きようら‐けいご【清浦奎吾】


清浦奎吾

清浦奎吾
総理在職期間
     大13. 1. 7~大13. 6.11157
総理就任時年齢:73歳

清浦奎吾 きようら けいご

清浦奎吾の肖像 その1
清浦奎吾の肖像 その2
嘉永3年2月14日昭和17年11月5日 (1850~1942

熊本生まれ官僚、政治家。父は僧侶上京して埼玉県官吏となり、明治9年(1876)司法省に入る。17年(1884)山県有朋内務卿のもと、内務省警保局長就任し保安条例制定などに尽力有力な山県系官僚として政界影響力を及ぼす。24年(1891)貴族院議員勅選第2次松方内閣第2次山県内閣司法相、第1次桂内閣司法相、農商務相を歴任その後枢密顧問官枢密院副議長、同議長経て大正13年(1924)に首相となるが、第2次護憲運動により衆議院解散総選挙大敗し総辞職した

キーワード 官僚, 政治家, 首相
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 於警官練習所清浦奎吾演述講談筆記 警官練習所, 明22.5 <YDM29331>
  2. 監獄費用ニ関スル意見 / 清浦奎吾著 清浦奎吾, 明24.4 <YDM37279>
  3. 奎堂余睡 / 清浦奎吾著 ; 和田錬太, 平野貞次郎警察機関社, 明24.8 <YDM29365>
  4. 明治法制史 / 清浦奎吾著. 再版 明法堂, 1899 <YDM30803>
  5. 清浦男爵産業論集 / 清浦奎吾述 ; 神山潤次編 博文館, 明39.5 <YDM41892>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

清浦奎吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 20:44 UTC 版)

清浦 奎吾(きようら けいご、旧字体淸浦 奎吾1850年3月27日嘉永3年2月14日〉- 1942年昭和17年〉11月5日)は、日本官僚政治家位階勲等爵位従一位大勲位伯爵幼名普寂(ふじゃく)。旧姓大久保(おおくぼ)。


注釈

  1. ^ 清浦の枢密顧問官就任の背景には清浦が自分に代わる山縣閥の首相候補になることを恐れた桂太郎が、清浦をその勢力基盤である貴族院から追い出すためであったといわれている。(尚友倶楽部「貴族院の会派研究史 明治大正編」(1980年)がこの説を採る)。また、西園寺内閣の維持を図る立憲政友会にとっても清浦の枢密院入りは望ましいものであった(小野修三 2013, p. 63)
  2. ^ 田健治郎など官僚出身の初入閣者が多く、「次官内閣」と揶揄された(松岡八郎 1980, p. 32)
  3. ^ 鰻重が名物であった日本料理店。現在は「鰻割烹大和田」として営業。
  4. ^ なお、清浦が出席したことで、前首相でありながら病欠した近衛文麿は「その病気というのは91歳の清浦より悪いのか?」と批判されることになった。
  5. ^ 現在の記録は東久邇宮稔彦王の102歳。清浦の長寿記録は後に鈴木善幸中曽根康弘村山富市にも抜かれている。

出典

  1. ^ a b c d e 小野修三 2012, p. 66.
  2. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、546頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  3. ^ 小野修三 2012, p. 67.
  4. ^ a b 小野修三 2012, p. 64.
  5. ^ 小野修三 2012, p. 63.
  6. ^ a b 小野修三 2012, p. 62.
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
  8. ^ 小野修三 2013, p. 87-86.
  9. ^ 『官報』第2330号、明治24年4月10日。
  10. ^ 小野修三 2013, p. 84-83.
  11. ^ a b c 小野修三 2013, p. 78.
  12. ^ 小野修三 2013, p. 77.
  13. ^ a b 小野修三 2013, p. 75.
  14. ^ 上久保敏『日本の経済学を築いた五十人 : ノン・マルクス経済学者の足跡』262頁「博士ジャーナリスト牧野輝智—経済知識の優れた啓蒙家」、日本評論社、2003年
  15. ^ 小野修三 2013, p. 76-75.
  16. ^ a b 小野修三 2013, p. 63.
  17. ^ 『官報』第6384号、明治39年4月14日。
  18. ^ 『官報』第6863号、明治39年5月18日。
  19. ^ a b 松岡八郎 1980, p. 30-31.
  20. ^ 松岡八郎 1980, p. 31.
  21. ^ a b c 小野修三 2016, p. 62-61.
  22. ^ a b 松岡八郎 1980, p. 32.
  23. ^ a b c d 松岡八郎 1980, p. 33.
  24. ^ 松岡八郎 1980, p. 36.
  25. ^ 小山俊樹 2012, p. 42.
  26. ^ a b 小山俊樹 2012, p. 56.
  27. ^ 小野修三 2016, p. 59-58.
  28. ^ 小野修三 2016, p. 57.
  29. ^ a b 小野修三 2016, p. 56.
  30. ^ a b 小野修三 2018, p. 34.
  31. ^ 小山俊樹 2012, p. 57.
  32. ^ a b 小野修三 2016, p. 58.
  33. ^ a b 小野修三 2016, p. 55.
  34. ^ a b 小野修三 2016, p. 52.
  35. ^ a b 小山俊樹 2012, p. 62.
  36. ^ 小山俊樹 2012, p. 63.
  37. ^ 小山俊樹 2018, p. 35-34.
  38. ^ a b 小山俊樹 2018, p. 33.
  39. ^ 小山俊樹 2018, p. 31.
  40. ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1884年7月1日。
  41. ^ 『官報』第2112号「叙任及辞令」1890年7月15日。
  42. ^ 『官報』第3988号「叙任及辞令」1896年10月12日。
  43. ^ a b 『官報』第4748号「叙任及辞令」1942年11月7日。
  44. ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
  45. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  46. ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。
  47. ^ 『官報』第3152号「叙任及辞令」1893年12月29日。
  48. ^ 『官報』第3753号「叙任及辞令」1896年1月4日。
  49. ^ 『官報』第4196号「叙任及辞令」1897年6月29日。
  50. ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日。
  51. ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
  52. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  53. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  54. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  55. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  56. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  57. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  58. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  59. ^ 『官報』第2623号「叙任及辞令」1892年3月31日。
  60. ^ 『官報』第7012号「叙任及辞令」1906年11月12日。
  61. ^ 『官報』第3523号「叙任及辞令」1924年5月23日。
  62. ^ 小野修三 2012, p. 56.
  63. ^ 大森倶楽部初代名誉会長 清浦奎吾元内閣総理大臣邸宅跡に、「清浦さんの坂」 標柱完成”. 一般社団法人大森倶楽部 (2015年12月14日). 2022年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月15日閲覧。
  64. ^ 陽のあるうちに大阪に着いた『東京朝日新聞』昭和5年10月2日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p447 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)


「清浦奎吾」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「清浦奎吾」の関連用語

清浦奎吾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



清浦奎吾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
首相官邸首相官邸
Copyright (C) 2024 首相官邸 All rights reserved.
内閣制度と歴代内閣
国立国会図書館国立国会図書館
Copyright (C) 2024 National Diet Library, Japan. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの清浦奎吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS