神山閏次とは? わかりやすく解説

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神山閏次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 13:32 UTC 版)

神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3年10月14日[1])- 1943年昭和18年)3月8日[2])は、日本の内務農商務官僚。官選群馬県知事錦鶏間祗候

経歴

熊本県出身。熊本藩士・神山譲の長男として生まれる[3]第一高等学校を卒業。1895年(明治28年)帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる[3][4]

1896年(明治29年)5月、青森県参事官に就任。以後、司法大臣秘書官司法省参事官、衆議院書記官兼内務省参事官、農商務大臣秘書官兼衆議院書記官兼農商務省参事官、農商務省水産局長などを歴任[1]

1908年(明治41年)8月、群馬県知事に就任。1910年(明治43年)に前橋市で関東東北の各府県が参加した共進会が開催された。1912年(明治45年)3月、知事を休職となる[3]。同年12月、鉄道院理事に就任し[1]1913年(大正2年)3月17日に依願免本官となり退官した[5]

その後、露領水産組合長、海外興業 (株) 社長を務めた[3]1918年(大正7年)6月21日、錦鶏間祗候に任じられた[6]。墓所は多磨霊園

栄典

著作

  • 『小楼清風記』神山閏次、1937年。
訳書
  • ステーリン著『彼得大帝の面影』警醒社、1904年。

親族

脚注

  1. ^ a b c d 『人事興信録 第5版』か152頁。
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1943年3月10日朝刊、4面の死亡広告より。
  3. ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』289頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』175頁。
  5. ^ 『官報』第188号、大正2年3月18日。
  6. ^ 『官報』第1766号、大正7年6月22日。
  7. ^ 『官報』第8257号、「叙任及辞令」1910年12月28日。
  8. ^ 『官報』第8608号、「敍任及辞令」1912年3月2日。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。





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