石坂昌孝
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石阪 昌孝(いしざか まさたか、1841年6月11日〈天保12年4月22日〉 - 1907年〈明治40年〉1月13日[1])は、日本の幕末から明治期の名主、政治家。神奈川県会議員、神奈川県会議長(初代)、群馬県知事(官選第5代)、衆議院議員(4期)。幼名・高之助[1]。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本近現代人物履歴事典』42頁。
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、99頁。
- ^ a b c 『新編日本の歴代知事』285頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』衆議院事務局、1912年、8頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』61頁。
- ^ 『官報』第4126号、明治30年4月8日、p.246
- ^ a b c 篠田正作 1891
- ^ 1893年に南多摩郡域は神奈川県から東京府に移管された
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』衆議院事務局、1912年、3頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』衆議院事務局、1912年、66頁。
- ^ 『官報』第3972号「叙任及辞令」1896年9月23日。
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