政治活動歴とは? わかりやすく解説

政治活動歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:11 UTC 版)

佐藤貞幹」の記事における「政治活動歴」の解説

1880年明治13年)、補欠選挙都筑郡選出県会議員となる。11月28日東京八百開かれた神奈川県懇親会世話人として石坂昌孝ら4人とともに名を連ねる12月6日臨時県会では、第1号議案備荒儲蓄規則」の審議で「備荒儲蓄人民欠くべからざるものであって政府の法がなくとも人民各自おこなうべきものである」と反対説を唱えた1881年明治14年2月大谷教曹、飯塚民治郎とともに池辺村現在の横浜市都筑区池辺町)に功玉会を設立下川井現在の横浜市旭区下川井町)の桜井光興とともに相東社を設立10月18日自由党の結成会議参加する11月3日石坂昌孝原町田現在の東京都町田市原町田)に設立した融貫社の創立委員として、金子馬之助桜井光興とともに加わる。 1882年明治15年5月第2回県会議員半数改選にて当選する7月、融貫社の外郭団体として設立された融貫社講学会の発起人名を連ねる1883年明治16年11月23日東京在学する神奈川県人の寄宿舎として神田錦町開設された静修館の館主となる。静修館に在館した学生には、大矢正夫北村門太郎らがいる。 1884年明治17年3月13日浅草井生村楼開催され自由党大会神奈川県総代として参加し役員改選により幹事となる。8月石坂昌孝とともに武相困民党事件仲裁人となる。当時武相自由党内には困民党を「貧民」「窮民」として同情するグループと「乱民」「暴民」として敵視するグループがあったが、石坂昌孝佐藤貞幹前者だった。10月29日大阪北野太融寺開かれた自由党解党大会で解党大意朗読し残務委員嘱託される。 1885年明治18年4月国会早期開設求める「国会短縮建白」を石坂昌孝とともに元老院提出する9月県会議員辞職する1889年明治22年4月県会議員補欠選挙当選する1890年明治23年4月県会議員辞職する7月第1回衆議院議員総選挙神奈川第ニ区(橘樹郡都筑郡久良岐郡)から出馬するが、4位で落選する。当選者山田泰造1891年明治24年9月添田知義提唱して結成され橘樹郡久良岐郡都筑郡地価修正同盟参加する1892年明治25年2月第2回衆議院議員総選挙において神奈川第三区は「吏党民党」「藩閥対立憲」の構図となり、警察による選挙への干渉が行われた。これに対し津久井郡有志総代梶野敬三県会議員岡部太郎とともに副島内務大臣抗議陳情をする。 1893年明治26年)、県会議員選挙落選4月川和瑞雲寺開催され都筑郡倶楽部設立懇親会発起人として、小島貞雄、奥津徳兵衛桜井光興小泉太一郎とともに名を連ねる

※この「政治活動歴」の解説は、「佐藤貞幹」の解説の一部です。
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