政治浄化への執念と軍縮議連会長就任とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 政治浄化への執念と軍縮議連会長就任の意味・解説 

政治浄化への執念と軍縮議連会長就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「政治浄化への執念と軍縮議連会長就任」の解説

三木首相退任後も、初当選以来一貫して唱え続けてきた政治浄化向けて活動続けた1979年昭和54年7月三木首相大平に、カネかからない選挙目指した「選挙浄化特別措置法要綱」を提案した。そして1980年昭和55年1月号の政策研究誌上で、「政治再建元年」と題しロッキード事件後もカネまつわるスキャンダル続発している状況踏まえ道義的感覚持ちカネによる政治排することを訴えた2月には、三木自民党最高顧問となる。 1982年昭和57年8月文藝春秋誌上三木は「田中角栄驕るなかれ」を発表した。これは三木政治浄化に関する考え集大成と言えるもので、政治利権の手段と堕し金権的な政治体質が蔓延している現状憂い政治とカネ問題解決していくように訴えた三木田中ロッキード事件論告求刑が行われた1983年昭和58年1月26日、再び政治浄化必要性訴えた。そして一審有罪判決下された10月12日田中に対して議員辞職促した中曽根政権下の12月18日行われた第37回衆議院議員総選挙結果自民党250議席敗北した三木最高顧問として中曽根敗北責任追及したが、中曽根より「いわゆる田中氏政治的影響力一切排除する」との総裁声明出され結果中曽根対す批判鎮静化続投となった1984年昭和59年)の総裁選時、中曽根に不満を持つ鈴木前首相中心となって二階堂進擁立する工作が行われた。鈴木二階堂擁立することによって中曽根田中の間を離間させることを狙ったのである鈴木はまず福田擁立工作持ちかけ、中曽根政治姿勢に不満を持つ公明党民社党工作巻き込んでいった。三木もまたこの工作同調したが、肝心田中反対したため頓挫し中曽根総裁再選された。 三木体力衰え明らかになってきた1985年昭和60年12月に、石川真澄私邸呼びカネかからない選挙のための法案考えていると言って意見求めた。これは脳出血倒れ半年前のことであり、三木政治生活終盤に至るまで政治浄化執念燃やし続けていた。 また、平和運動にも積極的に取り組み1983年9月国際軍縮促進議員連盟会長就任する三木平和研究所を設立する構想持っており、研究所開設時にはスウェーデンパルメ首相西ドイツブラント元首相日本に招くことを考えていた。そして三木政権閣議決定した防衛費GNP1パーセント制限1985年中曽根政権解禁しようとした際、福田鈴木首相経験者とともに反対表明した

※この「政治浄化への執念と軍縮議連会長就任」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「政治浄化への執念と軍縮議連会長就任」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「政治浄化への執念と軍縮議連会長就任」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「政治浄化への執念と軍縮議連会長就任」の関連用語

政治浄化への執念と軍縮議連会長就任のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



政治浄化への執念と軍縮議連会長就任のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三木武夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS