従軍記章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 16:21 UTC 版)
従軍記章(じゅうぐんきしょう)は、戦前の日本(大日本帝国)が、自国の参戦した戦役や事変に従軍ないし関係した人物を顕彰するために制定・授与した記章である。
注釈
- ^ 1971年(昭和46年)2月8日の第65回国会の衆議院予算委員会において、田中武夫が同布告に存在していた従軍記章の規定について問題視する質疑を行っている[10]。
- ^ 実際の授与は1877年(明治10年)以降に開始したが西南戦争の影響により遅延し、また従軍者のうちで西郷隆盛方(薩軍)に加わった者には与えられなかった[20]。
- ^ 勲章制度について打ち合わせていた1874年(明治7年)の段階では、飾版の字案には「台湾」のほか、同年に発生した佐賀の乱を反映した「佐賀」も挙げられていたが、後者は発行されることはなかった[20]。
- ^ 当初は第一次大戦のみを指す従軍記章(大正三四年従軍記章)であったが1920年(大正9年)に改正され(大正9年3月10日勅令第41号)、第一次大戦末期から戦後にかけて行われたシベリア出兵も一括にされた(大正三年乃至九年戦役従軍記章)。
- ^ 1931年(昭和6年)に八咫烏(3本足)をあしらった大日本蹴球協会のシンボルマークをデザインしたことがある日名子は、当初制作した支那事変従軍記章の粘土原型でも八咫烏を3本足で表していた[36]。しかし、これについて、八咫烏を3本足とするのは中国の伝説における三足烏と混同されたもので、八咫烏を3本足か2本足のいずれかに定める根拠は存在しないとする意見が政府局内から挙がり、その結果「今殊更三足トナシテ支那流ニ阿ル要ナク况ンヤ支那克服ノ従軍記章ニ之ヲ使用スルハ適当ナラス」として、当時交戦国であった中国に関わる要素を排除するべく、2本足に修正した上で制定・発行された経緯がある[36][37][38]。
- ^ 造幣局では100万個の製造計画が立てられ[44]、一方の賞勲局では600万人以上への授与が見込まれていた[39]。
- ^ 大東亜戦争従軍記章の制定に先立つ1944年3月8日には、臨時補助貨幣が錫貨幣に切り替えられている。
- ^ ただし破棄処分を免れたものもあり、数十個の「本物」が現存しているとされる[47]。
出典
- ^ a b 岩倉・藤樫 p 97
- ^ 明治38年従軍記章の証 明治39年4月1日 - 水野広徳ミュージアム、2019年8月4日閲覧。
- ^ 大正3・4年従軍記章の証 大正4年11月7日 - 水野広徳ミュージアム、2019年8月4日閲覧。
- ^ 造幣局のあゆみ (PDF) - 造幣局、2019年8月13日閲覧。
- ^ a b 明治二十七八年従軍記章条例、2019年7月25日閲覧。
- ^ a b c 明治三十三年従軍記章条例、2019年7月25日閲覧。
- ^ 明治三十七八年従軍記章条例、2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 大正三年乃至九年戦役従軍記章令、2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 昭和六年乃至九年事変従軍記章令、2019年7月25日閲覧。
- ^ 第65回国会 衆議院予算委員会 昭和46年2月8日 第9号、2019年7月31日閲覧。
- ^ 平成14年8月12日政令第277号、2002年(平成14年)8月12日。
- ^ 『栄典制度の在り方に関する懇談会報告書』(平成13年10月29日)第2章第6節
- ^ 栄典制度の改革について(平成14年8月7日閣議決定) (PDF) 、2019年8月4日閲覧。
- ^ 平成22年度要望書 (PDF)
- ^ 平成23年度隊友会政策提言書 (PDF)
- ^ 平成24年度隊友会政策提言書 (PDF)
- ^ 『造幣局長年報書 1冊』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月15日閲覧。
- ^ a b 長岡規矩雄『戦時回顧 私の雑記帳』磯部甲陽堂、1942年9月20日、p. 27 - 30
- ^ 『賞牌従軍牌制定ノ件』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ a b 平山晋『明治勲章大図鑑』国書刊行会、2015年7月15日、p. 162-164
- ^ 造幣局 1928, p. 29- 34コマ目。
- ^ a b 『明治二十七八年従軍記章条例』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ 『明治二十七八年従軍記章条例』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ 造幣局 1928, p. 32- 37コマ目。
- ^ 『明治三十七八年従軍記章条例』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ 造幣局 1928, p. 38- 43コマ目。
- ^ 造幣局百年史(資料編) p 384
- ^ 『大正三四年従軍記章令』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ 『大正三四年記章令中改正』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『造幣局七十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e 昭和六年乃至九年事変従軍記章令ヲ定ム - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2020年7月8日閲覧。
- ^ a b c 『週報』第146号「支那事変従軍記章の御制定」 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2019年8月31日閲覧。
- ^ 『昭和六年乃至九年事変従軍記章令』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d 寺田近雄 2011, p. 351.
- ^ a b c 大東亜戦争従軍記章令廃止等ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2019年10月21日閲覧。
- ^ a b 広田肇一『日名子実三の世界 昭和初期彫刻の鬼才』思文閣、2008年9月15日、p. 101 - 102
- ^ 総理府賞勲局『賞勲局百年資料集 上』1978年7月15日、p. 451-452
- ^ 支那事変従軍記章令ヲ定ム - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2019年10月21日閲覧。
- ^ a b c d 大東亜戦争従軍記章令ヲ定メ支那事変従軍記章令及支那事変記念章令中ヲ改正ス - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2019年10月21日閲覧。
- ^ 『支那事変従軍記章令及支那事変記念章令中改正ノ件』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d 『大東亜戦争従軍記章令廃止等ノ件』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月13日閲覧。
- ^ 『支那事変従軍記章令』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c 朝日新聞 (1944年6月21日). “大東亜戦争従軍記章を御制定”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 3
- ^ 造幣局百年史(資料編) p 212
- ^ 日本の財政刊行会編『日本の財政 大蔵省百年の歩み』大蔵財務協会、1965年10月15日、p. 248 - 249
- ^ a b 寺田近雄 2011- 巻頭口絵
- ^ 寺田近雄 2011, p. 59.
- ^ 川村皓章『勲章ものがたり 栄典への道』、p. 106
- ^ 『大東亜戦争従軍記章令』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月4日閲覧。
- ^ 『国境事変従軍記章令』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年8月31日閲覧。
- 1 従軍記章とは
- 2 従軍記章の概要
- 3 満洲国の従軍記章
「従軍記章」の例文・使い方・用例・文例
- 従軍記章
固有名詞の分類
- 従軍記章のページへのリンク