シベリアしゅっぺい 【シベリア出兵】
シベリア出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/05 06:43 UTC 版)
シベリア出兵(シベリアしゅっぺい、英: Siberian Intervention)とは、1918年から1922年までの間に、連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分でシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。社会主義を封じるという説明は抽象的である。より具体的には帝国時代の外債と、露亜銀行などのさまざまな外資を保全する狙いがあった。
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- ^ 原暉之『シベリア出兵:革命と干渉1917–1922』1989年 筑摩書房、572頁
- ^ 斎田章『ロシア革命の貨幣史(シベリア異聞)』
- ^ Humphreys, Leonard A.:The Way of the Heavenly Sword: The Japanese Army in the 1920's. Stanford University Press. 1996. ISBN 0-8047-2375-3.
- ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 177-178
- ^ 『西伯利事変 写真帖 第一篇』 町田幸左衛門 1920年
- ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 470-471
- ^ a b 笠原十九司『東アジア近代史における虐殺の諸相』 (PDF) 2004年
- ^ 『黒竜州『イワーノフカ』『タムホーフカ』村紀行』より。
- ^ 『シベリア出兵:革命と干渉1917–1922』 415–419頁
- ^ 『シベリア出兵:革命と干渉1917–1922』 420頁
- ^ 旧陸海軍記録、『西受大日記』、1919年3月
- ^ 『ハ杉貞利日記・ろしや路』(図書新聞社、1967年) 122·124頁
- ^ 『シベリア出兵:革命と干渉1917–1922』 422頁
- ^ 『マンチジューリヤ』紙(1918年12月29日付)
- ^ 『シベリア出兵:革命と干渉1917–1922』 426頁
- ^ 『八杉貞利日記・ろしや路』 146頁
- ^ 『八杉貞利日記・ろしや路』 122頁
- ^ 『八杉貞利日記・ろしや路』 144頁
- ^ 『八杉貞利日記・ろしや路』 131–132頁
- ^ 日本・ポーランド関係のエピソード(在ポーランド日本国大使館ホームページ)
- ^ 人道の港 敦賀ムゼウム ポーランド孤児
- ^ 「太平洋戦争への道」第一巻
- 1 シベリア出兵とは
- 2 シベリア出兵の概要
- 3 脚注
シベリア出兵と同じ種類の言葉
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