ポーランド孤児の救済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)
「シベリア出兵」の記事における「ポーランド孤児の救済」の解説
ロシア帝国はポーランド人政治犯などを多数シベリアに流刑したため、ロシア革命当時のシベリアには相当数のポーランド人がいた。その後、ロシア革命の混乱と1918年11月のポーランドの独立によって、多数のポーランド戦災孤児(シベリア孤児と言われることもある)がシベリアに取り残されたが、その保護のために力を貸す国はなかった。 その惨状を知った日本側は日本赤十字社を中核としてシベリア出兵中にポーランド孤児を救出し、彼等を祖国に帰還させた。1920年(大正9年)7月に第1次ポーランド孤児救済が、1922年(大正11年)8月に第2次ポーランド孤児救済がそれぞれ行われた。この活動によって約800名のポーランド孤児が祖国への帰還を果たした。また、これとは別に1920年9月からは、日本の福田会など複数の孤児院が戦災孤児数百人の引き取り始め、後にポーランドへ帰還させた。シベリア出兵に従事し孤児を救った51名の日本軍将校に対し、ポーランド政府は1925年にヴィルトゥティ・ミリターリ勲章(英語版)を授与して、その功績に報いた。
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