ポーランド大公とは? わかりやすく解説

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ポーランド君主一覧

(ポーランド大公 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 13:25 UTC 版)

ポーランド君主一覧では、現在のポーランドにあった諸王朝、諸国の君主を一覧で挙げる。

概要

ポーランドまたはその中核地域は、長いあいだ数多くの公(10世紀頃から14世紀)または王(11世紀 - 18世紀)によって支配されてきた。ピャスト王朝(960年頃 - 1370年)、ヤギェウォ王朝(1386年 - 1572年)の2つの王朝が長いあいだポーランドの支配者を輩出し続けた。ヤギェウォ王朝に後継者がいなくなると、ポーランド人はしばしば外国人や他王家の王子を支配者として連れてきた。16世紀から18世紀にかけて行われていた君主を自由選挙で選ぶ伝統は、ヨーロッパでは特異なものだった。ポーランドは1795年の第3次ポーランド分割に伴うポーランド・リトアニア共和国の消滅と同時に独立を失い、第一次世界大戦を経て1918年に独立を回復した時は共和政体を選択した。

ポーランドの君主

支配者 王家 治世 付記
レフ レフ族 6世紀 ポーランドを作った最初の首長
クラクス レフ族 8世紀 伝説的な首長
クラクフを開いた
ヴァンダ レフ族 8世紀 伝説的な首長
クラクスの娘
母はヴァンダル人
ポピェル ポピェル家 公 9世紀 伝説的な首長
ポラン=ゴプラン連合部族の首長(おそらくゴプラン族出身)
粉屋のアブラハムポーランド語版 ハザール人 9世紀 842年にひょんなことでポピェル死後のポラン=ゴプラン連合部族の首長に推挙されてしまったユダヤ人
ハザール王国の王子ないし高位の貴族で、ポラン族のもとに亡命し粉屋を経営していた人物
首長就任を固辞し、知り合いの車大工のピャスト(車屋を経営するとともにポピェル政権の宰相も務めていたポラン族の人物)を推した
ピャスト
(車大工のピャスト)
ピャスト家 公 9世紀 伝説的な首長(ポラン族出身)
シェモヴィト ピャスト家 公 9世紀 伝説的な首長
ピャストの息子
レステク ピャスト家 公 9 - 10世紀 伝説的な首長
シェモヴィトの息子
シェモミスウ ピャスト家 公 10世紀 伝説的な首長
レステクの息子
ミェシュコ1世 ピャスト家 公 960年? - 992年 シェモミスウの息子
最初のキリスト教徒の君主
ボレスワフ1世フロブルィ ピャスト家 公 992年 - 1025年
王 1025年
ミェシュコ1世の息子
最初に戴冠したポーランド王
ミェシュコ2世ランベルト ピャスト家 王 1025年 - 1031年 ボレスワフ1世の息子
ベスプリム ピャスト家 公 1031年 - 1032年 ボレスワフ1世の息子
ミェシュコ2世ランベルト ピャスト家 公 1032年 - 1034年 復位
カジミェシュ1世オドノヴィチェル ピャスト家 公 1039年 - 1058年 ミェシュコ2世の息子
ボレスワフ2世シュチョドルィ ピャスト家 公 1058年 - 1076年
王 1076年 - 1079年
カジミェシュ1世の息子
ヴワディスワフ1世ヘルマン ピャスト家 公 1079年 - 1102年 カジミェシュ1世の息子
ズビグニェフ ピャスト家 公 1102年 - 1107年 ヴワディスワフ1世ヘルマンの息子
はじめボレスワフ3世と共同統治
ボレスワフ3世クシヴォウスティ ピャスト家 公 1102年 - 1138年 ヴワディスワフ1世ヘルマンの息子
はじめズビグニェフと共同統治
長子による支配」体制を採用
ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ ピャスト家 首位の公 1138年 - 1146年 ボレスワフ3世の息子
シロンスク公を兼ねる
弟たちによって追放される
ボレスワフ4世ケンジェジャヴィ ピャスト家 首位の公 1146年 - 1173年 ボレスワフ3世の息子
マゾフシェ公を兼ねる
ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1173年 - 1177年 ボレスワフ3世の息子
ヴィエルコポルスカ公を兼ねる
カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ
ピャスト家 首位の公 1177年 - 1190年 ボレスワフ3世の息子
ヴィシリツァ公、サンドミェシュ公を兼ねる
ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1190年 復位
カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ ピャスト家 首位の公 1190年 - 1194年 復位
レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1194年 - 1198年 カジミェシュ2世の息子
サンドミェシュ公を兼ねる
ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1198年 - 1199年 復位
レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1199年 - 1202年 復位
ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1202年 復位
ヴワディスワフ3世ラスコノギ ピャスト家 首位の公 1202年 - 1206年 ミェシュコ3世の息子
ヴィエルコポルスカ公を兼ねる
レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1206年 - 1210年 復位
ミェシュコ1世プロントノギ ピャスト家 首位の公 1210年 - 1211年 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツの息子
オポーレ=ラチブシュ公(高地シロンスク公)を兼ねる
レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1211年 - 1227年 復位
暗殺英語版される
ヴワディスワフ3世ラスコノギ ピャスト家 首位の公 1227年 - 1229年 復位
コンラト1世マゾヴィエツキ ピャスト家 首位の公 1229年 - 1232年 カジミェシュ2世の息子
マゾフシェ公を兼ねる
ヘンリク1世ブロダティ ピャスト家 首位の公 1232年 - 1238年 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツの孫息子
シロンスク公を兼ねる
ヘンリク2世ポボジュヌィ ピャスト家 首位の公 1238年 - 1241年 ヘンリク1世の息子
シロンスク公を兼ねる
レグニツァの戦いで落命
ボレスワフ2世ロガトカ ピャスト家 首位の公 1241年 ヘンリク2世の息子
シロンスク公を兼ねる
コンラト1世マゾヴィエツキ ピャスト家 首位の公 1241年 - 1243年 復位
ボレスワフ5世フスティドリヴィ ピャスト家 首位の公 1243年 - 1279年 レシェク1世の息子
レシェク2世チャルヌィ ピャスト家 首位の公 1279年 - 1288年 コンラト1世の孫息子
ヘンリク2世の女系の孫息子
ヘンリク4世プロブス ピャスト家 首位の公 1288年 - 1290年 ヘンリク2世の孫息子
コンラト1世の女系の孫息子
ヴロツワフ公を兼ねる
プシェミスウ2世 ピャスト家 首位の公 1290年 - 1295年
王 1295年 - 1296年
ミェシュコ3世の玄孫
ヘンリク2世の女系の孫息子
ポズナン公、ヴィエルコポルスカ公、ポモジェ公を兼ねる
ヴァツワフ2世 プシェミスル家 首位の公 1296年 - 1300年
王 1300年 - 1305年
ボヘミア王
プシェミスウ2世の娘と結婚
マウォポルスカ公を兼ねる
ヴァツワフ3世 プシェミスル家 王 1305年 - 1306年 ボヘミア王
ヴァツワフ2世の息子
戴冠せず
暗殺される
ヴワディスワフ1世ウォキェテク ピャスト家 首位の公 1306年 - 1320年
王 1320年 - 1333年
コンラト1世の孫息子
レシェク2世の異母弟
ポーランド王国を再統合
カジミェシュ3世ヴィエルキ ピャスト家 王 1333年 - 1370年 ヴワディスワフ1世ウォキェテクの息子
最も偉大なポーランド王の一人とされる
ルドヴィク・ヴェンギェルスキ アンジュー家 王 1370年 - 1382年 ハンガリー王
ヴワディスワフ1世ウォキェテクの女系の孫息子
ヤドヴィガ・アンデガヴェンスカ アンジュー家 王 1382年 - 1399年 ラヨシュ1世の娘
男性の王として即位
1386年より夫のヴワディスワフ2世ヤギェウォと共同統治

ポーランド・リトアニア連合王国のポーランド王

支配者 王家 治世 付記
ヴワディスワフ2世ヤギェウォ ヤギェウォ家 1386年 - 1434年 リトアニア大公
1399年まで妻ヤドヴィガと共同統治
最も治世の長いポーランド君主
ヴワディスワフ3世ヴァルネンチク ヤギェウォ家 1434年 - 1444年 ヴワディスワフ2世ヤギェウォの息子
ハンガリー王を兼ねる
ヴァルナの戦いで落命
カジミェシュ4世ヤギェロンチク ヤギェウォ家 1447年 - 1492年 ヴワディスワフ2世ヤギェウォの息子
リトアニア大公を兼ねる
ヤン1世オルブラフト ヤギェウォ家 1492年 - 1501年 カジミェシュ4世の息子
アレクサンデル・ヤギェロンチク ヤギェウォ家 1501年 - 1506年 カジミェシュ4世の息子
リトアニア大公を兼ねる
ジグムント1世スタルィ ヤギェウォ家 1506年 - 1548年 カジミェシュ4世の息子
リトアニア大公を兼ねる
1512年にプロイセンを服属させる
1526年にマゾフシェ公国を併合
ジグムント2世アウグスト ヤギェウォ家 1548年 - 1572年 ジグムント1世の息子
リトアニア大公を兼ねる
ポーランドとリトアニアの人的同君連合を制度的国家連合に体制変更

ポーランド・リトアニア共和国のポーランド王

支配者 王家 治世 付記
ヘンリク・ヴァレズィ ヴァロワ家 1573年 - 1574年 最初に国王自由選挙で選ばれたポーランド君主
ポーランド王位を放棄しフランス王に即位(アンリ3世)
アンナ・ヤギェロンカ ヤギェウォ家 1575年 - 1586年 ジグムント1世の娘
男性の王として即位
夫のステファン・バートリと共同統治
ステファン・バートリ バートリ家 1576年 - 1586年 トランシルヴァニア公
妻のアンナ・ヤギェロンカと共同統治
最も偉大なポーランド王の一人とされる
ジグムント3世ヴァザ ヴァーサ家 1587年 - 1632年 ジグムント1世の女系の孫
スウェーデン王を兼ねる(在位1592年 - 1599年、称号のみ1599年 - 1632年)
ヴワディスワフ4世ヴァザ ヴァーサ家 1632年 - 1648年 ジグムント3世の息子
称号のみのスウェーデン王(1632年 - 1648年)
ヤン2世カジミェシュ ヴァーサ家 1648年 - 1668年 ジグムント3世の息子
称号のみのスウェーデン王(1648年 - 1660年)
退位
ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ ヴィシニョヴィエツキ家 1669年- 1673年 有能な軍事指導者ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキの息子
ヤン3世ソビェスキ ソビェスキ家 1674年 - 1696年 最も有名なポーランド王の一人
アウグスト2世モツヌィ ヴェッティン家 1697年 - 1706年 ザクセン選帝侯
退位
スタニスワフ・レシチニスキ
(スタニスワフ1世)
レシチニスキ家 1706年 - 1709年 アウグスト2世に譲位
アウグスト2世モツヌィ ヴェッティン家 1709年 - 1733年 復位
スタニスワフ・レシチニスキ レシチニスキ家 1733年 - 1736年 復位
ポーランド継承戦争で敗退
退位し、ロレーヌ公となる
アウグスト3世サス ヴェッティン家 1734年 - 1763年 アウグスト2世の息子
ザクセン選帝侯
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ
(スタニスワフ2世アウグスト)
ポニャトフスキ家 1764年 - 1795年 ヨーロッパ初の民主主義成文憲法5月3日憲法を制定し、立憲君主制を創始
第3次ポーランド分割による共和国消滅とともに退位

分割後のポーランド地域を支配した諸外国の君主

支配者 ポーランド語の呼び名 王家 治世 付記

ガリツィア・ロドメリア王

マリア・テレジア マリア・テレサ ハプスブルク家 1772年 - 1780年 第1次ポーランド分割で世襲領オーストリアに併合した地域にガリツィア・ロドメリア王国を創設
ヨーゼフ2世 ユゼフ2世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1780年 - 1790年
レオポルト2世 レオポルト2世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1790年 - 1792年
フランツ2世 フランチシェク2世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1792年 - 1835年
フェルディナント1世 フェルディナント1世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1835年 - 1848年
フランツ・ヨーゼフ1世 フランチシェク・ユゼフ1世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1848年 - 1916年
カール1世 カロル1世 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1916年 - 1918年

ワルシャワ公

フリードリヒ・アウグスト1世 フリデリク・アウグスト ヴェッティン家 1807年 - 1815年 アウグスト3世の孫息子
ザクセン選帝侯
ワルシャワ公国は1807年にナポレオンの衛星国家として創設されたが、ウィーン会議の取り決めで解体され、ロシア領ポーランド会議王国とプロイセン領ポズナン大公国に分割領有される

ポーランド会議王国の国王

アレクサンドル1世 アレクサンデル1世 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 1815年 - 1825年 会議王国の呼び名はウィーン会議によって創設されたことから付いたもの
ニコライ1世 ミコワイ1世 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 1825年 - 1855年 1831年の蜂起に際しポーランド議会により廃位を宣告される
1832年に会議王国の自治権を撤廃
アレクサンドル2世 アレクサンデル2世 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 1855年 - 1881年 1863年の蜂起後、会議王国をロシアに併合
アレクサンドル3世 アレクサンデル3世 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 1881年 - 1894年
ニコライ2世 ミコワイ2世 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 1894年 - 1917年 退位

ポズナン大公

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 フリデリク・ヴィルヘルム3世 ホーエンツォレルン家 1815年 - 1840年 ウィーン会議によりポズナン大公国を創設
1831年までアントニ・ヘンリク・ラジヴィウを大公国の総督とする
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 フリデリク・ヴィルヘルム4世 ホーエンツォレルン家 1840年 - 1861年 1849年に大公国の自治権を撤廃
ヴィルヘルム1世 ヴィルヘルム1世 ホーエンツォレルン家 1861年 - 1888年
フリードリヒ3世 フリデリク3世 ホーエンツォレルン家 1888年
ヴィルヘルム2世 ヴィルヘルム2世 ホーエンツォレルン家 1888年 - 1918年 退位

関連項目


ポーランド大公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/16 08:33 UTC 版)

ヘンリク4世」の記事における「ポーランド大公」の解説

1288年9月30日クラクフサンドミェシュ公及びポーランド大公であるレシェク2世子供の無いまま死んだ。これはヘンリク4世にとってクラクフ大公の座を獲得するまたとない機会だった。プシェミスウ2世領土問題和解して間もなく、この野心実現させるためにヘンリク4世1287年より適当な同盟者探し始めた歴史家オズヴァルト・バルゼルによれば、この少し前からレシェク2世ヘンリク4世プシェミスウ2世グウォグフ公ヘンリク3世による諸公連合結成されつつあり、その目的分裂状態ポーランド統合して王国復活させることだったという。この説自体信頼できるかはともかく、レシェク2世死んだ今、ヘンリク4世が行動を起こす準備整ったクラクフ公位を狙うヘンリク4世有力な対立候補は、死んだレシェク2世異母弟であるクヤヴィ公ヴワディスワフ1世短身公)と、その従弟でマウォポルスカの貴族達に支持されていたプウォツクボレスワフ2世2人だった。しかし、プウォツク公は肝心クラクフ都市長官である城代「髭の」スウクSułk z Niedźwiedzia)の支持取り付けるのに失敗した1289年2月26日ヴワディスワフ1世プウォツクボレスワフ2世マゾフシェ)の連合軍と、ヘンリク4世軍勢はシェヴィエシュの戦いで激突したヘンリク4世ローマ王ルドルフ1世及びオポーレグウォグフ、シチナヴァの諸公支持受けていた。戦いはクヤヴィ=マゾフシェ連合軍の勝利終わりヘンリク4世同盟者達のうち、シチナヴァ公プシェムコは戦死しオポーレ公ボルコ1世深手負ってヴワディスワフ1世に捕えられた。 ところが戦い勝ったプウォツクボレスワフ2世意外に大公継承要求取り下げクラクフ及び「長子」をヴワディスワフ1世譲った状況はすぐにヴワディスワフ1世になびき、彼はクラクフ司教パヴェウ・ス・プウコジツの支援受けてヴァヴェル城包囲占拠しシロンスク軍勢スカワ追い出した。しかしヘンリク4世8月に再び挙兵してクラクフ進軍したクラクフ都市民の寝返りフランシスコ会(彼らはヘンリク4世修道院に匿いさえした)の支援のおかげでヘンリク4世はついにクラクフ市の支配者となり、大公地位手に入れた。しかし、ヘンリク4世クラクフ入りせずにサンドミェシュに留まった。 大公としての治世中、ヘンリク4世は自らの公国領域越えた権力強化成功し経済をも好転させることが出来たヘンリク4世採鉱都市の発展支援し、その大部分ドイツ都市法の適用認められ多く特権与えられた。また、ヘンリク4世は深い教養持ち主で、数ヶ国語流暢に話し西ヨーロッパ宮廷文化騎士道文化奨励した優れた詩才持ち主でもあり、マネッセ写本には彼のドイツ語の詩が2篇収められている。

※この「ポーランド大公」の解説は、「ヘンリク4世」の解説の一部です。
「ポーランド大公」を含む「ヘンリク4世」の記事については、「ヘンリク4世」の概要を参照ください。

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