オポーレ公とは? わかりやすく解説

オポーレ公国

(オポーレ公 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 08:22 UTC 版)

オポーレ公国
Księstwo opolskiepl
Opolské knížectvícs
Herzogtum Oppelnde
1172年 - 1202年
1281年 - 1532年
(国旗) (国章)

シロンスク公国の分裂の始まり(1172年 - 1177年)、ボレスワフ1世長身公のヴロツワフ公国(オレンジ色)、その弟ミェシュコ1世跛足公のラチブシュ公国(黄色)、ボレスワフの長男ヤロスワフのオポーレ公国(緑色)
首都 オポーレ
1177年 - 1195年 ボレスワフ1世ヴィソキ
1497年 - 1532年 ヤン2世
変遷
シロンスク公国から分離し成立 1172年
ラチブシュ公国と統合 1202年
ラチブシュ公国から分離 1281年
ボヘミア王冠領の封土となる 1327年
ラチブシュ公国と統合 1521年
ボヘミアに併合 1532年
プロイセン王国に併合 1742年

オポーレ公国またはオペルン公国ポーランド語:Księstwo opolskie;チェコ語:Opolské knížectví;ドイツ語:Herzogtum Oppeln)は、シロンスク公国群に属する公国の一つ、首都はオポーレ

歴史

公国は1172年ボレスワフ1世の長男ヤロスワフの領国として分離独立した。ヤロスワフの死後、1201年から1202年までの短い間はヴロツワフ公国に併合されていたが、1202年にヤロスワフの叔父ミェシュコ1世が自分の領するラチブシュ公国へと取り込み、オポーレ=ラチブシュ公国を形成した。1290年、オポーレ=ラチブシュがヴワディスワフ・オポルスキの4人の息子達の間で分割相続されると、ラチブシュ公国から分離した単独のオポーレ公国が成立したが、この2国の領土の一部からチェシン公国ビトム公国が新たに分立した。

1327年、公国はボヘミア王冠領の封土(レーエン)となった。公国はこの後、繰り返し起きる領土的変化によって不安定な状態が続き、15世紀半ばに至るまで徐々にその版図は縮小していった。しかし15世紀後半には再び拡張を始め、1511年にはオポーレ=ラチブシュ公国が再形成されることになった。1532年ピャスト家最後の統治者ヤン2世が死ぬと、公国は完全にボヘミアの主権下に入った。オポーレ=ラチブシュ公国の支配者はホーエンツォレルン家ハプスブルク家ヴァザ家など目まぐるしく変わっていった。オポーレ=ラチブシュ公国は1742年、最終的にプロイセン王国によって併合され、消滅した。

オポーレ公

シロンスク・ピャスト家
ブランデンブルク=アンスバッハ家など

1558年よりハプスブルク家がボヘミア王として領有し、一時的に他家門の出身者が公として統治

トランシルヴァニア公
ヴァザ家
ハプスブルク家
  • 1666年-1742年 ハプスブルク家がボヘミア王として領有

オポーレ公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/16 22:54 UTC 版)

ミェシュコ1世プロントノギ」の記事における「オポーレ公」の解説

1201年3月22日ミェシュコ1世の甥であるヤロスワフ死んだオポーレ公国はその父親であるボレスワフ1世領地戻りボレスワフ1世一時的に勢力回復したが、9ヶ月後の1201年12月7日8日とも)に世を去り唯一生き残った末子ヘンリク1世(髭公)がその全領土相続した。これを受けてミェシュコ1世オポーレ獲得決意し1202年年頭奇襲をかけることにした。ミェシュコ1世オポーレ入手し、これを自分領土組み入れた。この勝利飽き足らないミェシュコ1世更なる領土獲得狙ったが、ヘンリク1世熱心に支持していた教会勢力がこれに反対した。グニェズノ大司教ヘンリク・キェトリチュとヴロツワフ司教ツィプリアンの調停によってヘンリク1世領土守られたが、代償としてヘンリク1世教会に対して100本の銀を納めなければならなくなった

※この「オポーレ公」の解説は、「ミェシュコ1世プロントノギ」の解説の一部です。
「オポーレ公」を含む「ミェシュコ1世プロントノギ」の記事については、「ミェシュコ1世プロントノギ」の概要を参照ください。

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