ヘンリク1世とは? わかりやすく解説

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ヘンリク1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 22:34 UTC 版)

ヘンリク1世
Henryk I
ポーランド大公
在位 1232年 - 1238年

出生 1163年
グウォグフ
死去 1238年3月19日
配偶者 ヤドヴィガ
子女 ボレスワフ
ヘンリク2世
コンラト
家名 シロンスク・ピャスト家
王朝 ピャスト朝
父親 ヴロツワフボレスワフ1世ヴィソキ
母親 クリスティナ
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ヘンリク1世ブロダティHenryk I Brodaty, 1163年 - 1238年3月19日)は、ポーランド大公(在位:1232年 - 1238年)。ヴロツワフボレスワフ1世ヴィソキと2番目の妃クリスティナの息子。オポーレヤロスワフの異母弟。顎鬚(the Bearded 波:Brodaty)と称された。

生涯

内政を重点的に行い、ポーランド領内へのドイツ人の植民を積極的に奨励した。その結果、ヘンリク1世が治めていたシロンスクシレジア、シュレージエン)地方の文化・経済は大いに発展する。後にこの強大になった勢力を背景に、クラクフなどを兼ね、実質的なポーランドとして君臨した。これらの所領は息子のヘンリク2世に受け継がれた。

ヤドヴィガはシロンスクの守護聖人とされている。

先代
ボレスワフ1世ヴィソキ
ヴロツワフ
1201年 - 1238年
次代
ヘンリク2世ポボジュヌィ
オポーレ公
1201年 - 1202年
次代
ミェシュコ1世プロントノギ
先代
ヴワディスワフ3世ラスコノギ
カリシュ公
1206年 - 1207年
次代
ヴワディスワフ・オドニツ
先代
ヴワディスワフ・オドニツ
カリシュ公
1234年
次代
ミェシュコ2世オティウィ
ヴワディスワフ・オポルスキ
先代
コンラト1世
ポーランド大公
1232年 - 1238年
次代
ヘンリク2世ポボジュヌィ
先代
ヴワディスワフ・オドニツ
ヴィエルコポルスカ公
(南西部のみ)

1234年 - 1238年



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