ピャスト朝とは? わかりやすく解説

ピャスト朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 03:47 UTC 版)

ポーランドの歴史
ピャスト朝
10世紀 - 1370年
 
プシェミスル朝 1300年 - 1306年
 
ポーランド・アンジュー朝 1370年 - 1399年
ヤギェウォ朝 1399年 - 1572年
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制) 1569年 - 1795年
ポーランド分割 1772年、1793年、1795年
ワルシャワ大公国 1807年 - 1813年
ポーランド立憲王国
1815年 - 1867年
クラクフ共和国
1815年 - 1846年
ポズナン大公国
1815年 - 1848年
第一次世界大戦 1914年 - 1918年
ポーランド摂政王国 1916年 - 1918年
ポーランド共和国(第2共和制) 1918年 - 1939年
第二次世界大戦 1939年 - 1945年 ポーランド亡命政府
ポーランド総督府 1939年 - 1945年
ポーランド人民共和国 1952年 - 1989年
ポーランド共和国(第3共和制) 1989年 - 現在
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ピャスト朝ポーランド語: Dynastia Piastów)は、ポーランドの王朝。960年頃から1370年まで続いた。王朝としてあるが、初期においてはポーランド的な王家ではなく、グニェズノを主体とする地方侯家であった。1000年ボレスワフ1世ローマ皇帝オットー3世から戴冠および大司教座設置を許可され、その後1025年ローマ教皇ヨハネス19世の許可が下ったことをもってポーランド国家の始まりと見なされる。ここに名前を載せている者で、公には即位したが王位に就かなかった者もいる。

歴代国王

  1. ミェシュコ1世Mieszko I960年頃 - 992年) (ポラニェ族長)
  2. ボレスワフ1世Bolesław I Chrobry992年 - 1025年) (ポーランド王:1025年)
  3. ミェシュコ2世Mieszko II Lambert1025年 - 1031年) (王位:1025年 - 1031年)
  4. ベスプリムBezprym1031年 - 1032年
  5. ミェシュコ2世(Mieszko II Lambert1032年 - 1034年) (復位、侯)
  6. カジミェシュ1世Kazimierz I Odnowiciel1034年(?) - 1058年
  7. ボレスワフ2世Bolesław II Śmiały1058年 - 1079年) (王位:1076年 - 1079年)
  8. ヴワディスワフ1世ヘルマンWładysław I Herman1079年 - 1102年
  9. ズビクニェフ (Zbigniew1102年 - 1107年
  10. ボレスワフ3世 (Bolesław III Krzywousty1102年 - 1138年

分裂時代

ボレスワフ3世の遺言状により、国は各相続者に分割され、兄弟の最年長の者がクラクフ地方を治めると共に族長となった。この年長者相続制度は後に立ち行かなくなり破棄され、カジミェシュ2世が選挙によってクラクフ侯に選ばれた。

  1. ヴワディスワフ2世 (Władysław II Wygnaniec1138年 - 1146年) (クラクフ侯)
  2. ボレスワフ4世 (Bolesław IV Kędzierzawy1146年 - 1173年) (クラクフ侯)
  3. ミェシュコ3世 (Mieszko III Stary1173年 - 1177年) (クラクフ侯)
  4. カジミェシュ2世 (Kazimierz II Sprawiedliwy1177年 - 1194年) (クラクフ侯)
  5. レシェク1世 (Leszek Biały1194年 - 1202年) (クラクフ侯、白公)
  6. ヴワディスワフ3世 (Władysław III Laskonogi1202年
  7. レシェク1世 (Leszek Biały1202年 - 1210年) (クラクフ侯)
  8. ミェシュコ4世タングルフット (Mieszko IV Plątonogi1210年 - 1211年
  9. レシェク1世 (Leszek Biały1211年 - 1227年
  10. ヴワディスワフ3世 (Władysław III Laskonogi1227年 - 1229年
  11. コンラト1世 (Konrad I Mazowiecki1229年 - 1232年
  12. ヘンリク1世 (Henryk I Brodaty1232年 - 1238年) (クラクフ侯)
  13. ヘンリク2世 (Henryk II Pobożny1238年 - 1241年) (クラクフ侯)
  14. コンラト1世 (Konrad I Mazowiecki1241年 - 1243年
  15. ボレスワフ5世 (Bolesław V Wstydliwy1243年 - 1279年) (クラクフ侯)
  16. レシェク2世 (Leszek II Czarny1279年 - 1288年、黒公)
  17. ヘンリク4世 (Henryk IV Probus1288年 - 1290年) (クラクフ侯)

チェコのプシェミスル朝支配

  1. ヴァーツラフ2世 (Wacław II1291年 - 1305年) (ポーランド王:1300年 - 1305年)
  2. ヴァーツラフ3世 (Wacław III1305年 - 1306年) (ポーランド王:1305年 - 1306年)

ピャスト家の再統一

  1. プシェミスウ2世 (Przemysł II1290年 - 1296年) (ポズナン侯:1273年 - 1296年、ヴィエルコポルスカ侯:1279年 - 1296年、クラクフ侯:1290年 - 1291年、ポモージェ侯:1294年 - 1296年、ポーランド王:1295年 - 1296年)
  2. ヴワディスワフ1世 (Władysław I Łokietek1306年 - 1333年) (クラクフ侯:1305年 - 1320年、ポーランド王:1320年 - 1333年)
  3. カジミェシュ3世 (Kazimierz III Wielki1333年 - 1370年

関連項目


ピャスト朝(1003年-1004年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 16:57 UTC 版)

チェコの歴史」の記事における「ピャスト朝(1003年-1004年)」の解説

1003年ポーランド公家であるピャスト家ボレスワフ1世(後のポーランド王国初代国王ボレスワフ1世勇敢王)がチェコ全土武力制圧しポーランドボレスワフ1世ボヘミア公ボレスラフ4世となったプシェミスル家のヤロミールは神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世結託して臣従誓いボヘミア神聖ローマ帝国領邦としてドイツ人引き入れることを約束したことで、翌年ボレスワフ1世からボヘミア公の座を取り戻したが、この結果ボヘミアオーストリア帝国引き渡されるまで神聖ローマ帝国領邦となり、歴代君主実質的にドイツ人傀儡となって20世紀チェコスロバキア独立するまで900年上もの間、政治的に社会的に実質上はドイツ人の強い影響下に置かれることとなった

※この「ピャスト朝(1003年-1004年)」の解説は、「チェコの歴史」の解説の一部です。
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