ボレスワフ4世とは? わかりやすく解説

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ボレスワフ4世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 15:00 UTC 版)

ボレスワフ4世
Bolesław IV
ポーランド大公
在位 1146年 - 1173年

出生 1120年
死去 1173年1月5日
配偶者 ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカ
  マリヤ・ウラジミロヴナ(ガーリチ公ウラジーミルの娘)
子女 ボレスワフ
レシェック
家名 ピャスト家
王朝 ピャスト朝
父親 ボレスワフ3世
母親 サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲン
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ボレスワフ4世ケンジェジャヴィBolesław IV Kędzierzawy, 1120年 - 1173年1月5日)は、ポーランド大公(在位:1146年 - 1173年)。ボレスワフ3世と2度目の王妃サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲンの子として生まれた。ヴワディスワフ2世の異母弟、ミェシュコ3世、ヘンリク、カジミェシュ2世の同母兄。巻毛公(Kędzierzawy)と称される。

生涯

1138年に父が死ぬと、シロンスク公で異母兄のヴワディスワフ2世がポーランド大公となった。若いボレスワフ4世はマゾフシェとクヤヴィを継承し、マゾフシェ公となった。

1146年にヴワディスワフ2世を追放するとクラクフ領とシロンスクを継承し、ボレスワフ4世自身がポーランド大公となった。しかし、1163年ローマ皇帝フリードリヒ1世が外交で圧力をかけたため、甥のボレスワフ1世ミェシュコ1世兄弟にシロンスクを返還した。死後は息子レシェックがマゾフシェ公を継承したのみで、クラクフとグニェズノを継承したのは同母弟のミェシュコ3世であった。

子女

1137年プスコフ公ヴセヴォロドの娘ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカと結婚。

先代
ヴワディスワフ2世
ポーランド大公
1146年 - 1173年
次代
ミェシュコ3世



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