大公
大公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 13:27 UTC 版)
フランクの地方支配において伯と並び重要な存在として大公(太公、dux)がいた。「アレマン人の大公」や「バイエルン人の大公」と呼ばれるこれらの大公は、形式上はフランク王国の官職位であり、フランク王により任免が行われた。この地位は大公(dux)という称号が完全に一般化するまではしばしば侯(marchio)とも呼ばれた。彼らは軍指揮官として王国軍の一翼を担うとともに、特定地域における行政上の権限を掌握していた。支配地域のすべての伯の上位に立つこの大公がどのような存在であるかについては長い議論が行われている。統一的な国家体制が存在しなかったフランク王国の他の地位と同じく、大公(dux)の性質も時代的、地域的な差異が大きいものであったと考えられている。 ラテン語の史料に表れる大公(dux)位を、ゲルマン古来の部族の中から現れた固有の命令権者(ヘリツォーゴ、Herizogo, 独:Herzog)とするか、またはフランク王国による支配のためにメロヴィング朝の王によって任命された官職保有者として現れたものとするかについては長い議論が行われている。前者の見解を支持する研究者によれば、部族的軍隊王権に基盤を置いた「大公」の支配領域はフランク王国によって征服されたあとも、「国家内国家」的な性格を喪失しなかったとされる。しかし、現代の研究ではこのような「大公」位を各部族による自生的制度と見なす見解は否定的にとらえられている。これらの大公位は、たとえばアレマン人の領域ではクローヴィス1世による征服のあと、旧来の王(rex)に代わって大公(dux)が任命されており、バイエルン大公もまたテウデベルト1世によるザルツブルクおよびイン川上流一帯の軍事的制圧直後に歴史に登場するためである。 しかし、どのような起源を持つにせよ、またフランク王権に従属していたにせよ、バイエルンやアレマンネンの大公はその支配域内において地元の部族的な紐帯に支えられ強大な権限を保有することになった。大公は領内において国王を代表し、伯権力の上に立つとともに、最高位の軍指揮官であり、裁判官であり、教会の長であった。またバイエルンのアギロルフィング家のようなこれを世襲する一族は、法律上も貴族層からも卓越した存在として扱われ、大公領を分割相続することができた。この意味において大公領における大公の存在は「王」そのものであり、同時代史料の中にはバイエルン大公を王(rex)と呼んでいるものも存在する。大公はフランク王に対する軍役と貢納を果たす以外は、独自の内政・外交政策を推し進めることも可能であり、これゆえにフランク王と衝突も繰り返した。彼らはきわめて曖昧な誓約によってかろうじてフランク王と結びついていたにすぎなかった。このため、フランク王の側ではたとえばカール1世によるバイエルン大公タシロ3世(英語版)の廃位のように、大公権力の掣肘が常に試みられた。
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「大公」の例文・使い方・用例・文例
- モナコ大公
- 最大公約数.
- 〈新任の大公使, 初めて社交界に出る女子などが〉宮中で拝謁を賜わる.
- 全市が一大公園の観がある.
- 最大公約数
- 大公または大公領に属する、あるいは、大公または大公領にふさわしい
- ルクセンブルク大公国またはその国民の、ルクセンブルク大公国またはその国民に関する、あるいは、ルクセンブルク大公国またはその国民に特徴的な
- 大公または大公妃が支配する領土
- 大公あるいは女大公が支配する領土
- フランスと、ベルギーとドイツの間の北西のヨーロッパで陸地に囲まれている大公国(立憲君主国)
- 大公の妻あるいは未亡人、あるいは旧オーストリア皇女
- 大公の妻、あるいは自らが大公の地位を持つ女性
- モスクワ大公国の皇子で、タタール人への勝利がロシア統一の基盤を築いた(1440年−1505年)
- 大公使館や領事館
- ルクセンブルク大公国の首都
- バイエルン大公国という,中世の公国
- 欧州において,大公国という小国の君主
- 最大公約数という公約数
- 互除法という,最大公約数の求め方
- ロードショーにかけず,一般映画館で拡大公開すること
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