大仏次郎とは? わかりやすく解説

おさらぎ‐じろう〔‐ジラウ〕【大仏次郎】

読み方:おさらぎじろう

18971973小説家神奈川生まれ本名野尻清彦。「鞍馬天狗」で大衆作家として認められる。著「赤穂浪士」「帰郷」「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」など。文化勲章受章


大佛次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 22:51 UTC 版)

大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年明治30年〉10月9日 - 1973年昭和48年〉4月30日)は、日本小説家・作家。大仏次郎(新字体)とも書く。




「大佛次郎」の続きの解説一覧

大佛次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:54 UTC 版)

鎌倉市」の記事における「大佛次郎」の解説

大佛次郎は、1921年大正10年2月に妻となる女優吾妻光(本名原田酉子)と学生結婚するのを機に鎌倉へと移住し鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)で教鞭を執った。大佛と言えば鞍馬天狗』をはじめとする娯楽小説大家として有名であるが、これは関東大震災影響文芸界が劇作家をやれる状況なくなり困窮した大佛時代劇娯楽小説通称マゲもの」に手を出さざる得なかったためだが、これが当たって以後次々作品生まれ出ることとなる。大佛次郎のペンネーム鎌倉の大仏にちなんだ物で、当時長谷大仏の裏住んでいたところから、「マゲもの」掲載時にペンネーム求められた際に、慌てて名付けたとされる流行作家となった大佛は度々転居し住まい変えているが、これは生来の「ネコ好き」が原因だった模様で、ひととき住んでいた材木座借家退去する際、畳を変えた上に襖や障子新調して、「小説家というのは感心な者だ」と家主褒められたが、これは飼っていた十数匹の残した酷い惨状でそうせざる得なかったというオチ付いている。この家を退去後、1928年昭和4年)に雪ノ下神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目11-22)に新居構えたが、これが大佛の終の住まいとなった1945年昭和20年)に鎌倉文庫設立参加や、研究社の『学生』の主筆となり、1949年昭和24年)まで「鎌倉通信」を連載し財団法人鎌倉風致保存会設立発起人及び初代理事務めた時も、ここが住まいであった。この鎌倉邸宅は、大佛没後週末のみ「大佛廊」として2019年8月まで一般公開されていた。 1973年昭和48年)に病没死後鎌倉扇ヶ谷寿福寺葬られた。

※この「大佛次郎」の解説は、「鎌倉市」の解説の一部です。
「大佛次郎」を含む「鎌倉市」の記事については、「鎌倉市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大仏次郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



大仏次郎と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大仏次郎」の関連用語

大仏次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大仏次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大佛次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鎌倉市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS