大休正念とは? わかりやすく解説

だいきゅう‐しょうねん〔ダイキウシヤウネン〕【大休正念】

読み方:だいきゅうしょうねん

1215〜1289]鎌倉時代臨済宗中国僧。大休派の祖。温州永嘉浙江省)の人。北条時宗招き受けて文永6年(1269)来日し建長寺円覚寺などに歴住、浄智寺開創した。仏源禅師


大休正念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/15 08:08 UTC 版)

大休正念
嘉定8年 - 正応2年11月29日
1215年 - 1290年1月11日
諡号 仏源禅師
生地 温州永嘉県
宗派 臨済宗
寺院 禅興寺建長寺寿福寺円覚寺浄智寺
東谷明光、石渓心月
著作 『趙州真際禅師語録』
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大休正念(だいきゅう しょうねん)は、鎌倉時代南宋から渡来した臨済宗仏源禅師温州永嘉県の出身。

生涯

宋国温州永嘉郡の出身。初め曹洞宗の東谷明光に師事し、ついで天目山に登った。その後径山の石渓心月に参禅してその法を継いだ。文永6年(1269年)、幕府執権北条時宗の招聘により来日。鎌倉の禅興寺に入り、文永9年(1272年)建長寺第3世住持となり、さらに寿福寺に住した。弘安7年(1284)円覚寺に第2世として住持した。寿福寺に住し、浄智寺を開創している。正応2年(1289年)病となり正観寺に移り、11月29日、75歳で寂し、寿福寺に遺骨が収められ、のち仏源禅師と諡された。長期間の日本滞在により鎌倉における禅林の確立に力を尽くし、時宗を初め、子の貞時や時宗の弟の宗政など鎌倉武士に大きな感化を与えた。

外部リンク

佛学規範庫「正念」[1]

  1. ^ https://authority.dila.edu.tw/person/?fromInner=A021443



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