だいきゅう‐しょうねん〔ダイキウシヤウネン〕【大休正念】
大休正念
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大休正念 | |
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嘉定8年 - 正応2年11月29日 (1215年 - 1290年1月11日) | |
諡号 | 仏源禅師 |
生地 | 温州永嘉県 |
宗派 | 臨済宗 |
寺院 | 禅興寺、建長寺、寿福寺、円覚寺、浄智寺 |
師 | 東谷明光、石渓心月 |
著作 | 『趙州真際禅師語録』 |
大休正念(だいきゅう しょうねん)は、鎌倉時代に南宋から渡来した臨済宗の僧。諡は仏源禅師。温州永嘉県の出身。
生涯
宋国温州永嘉郡の出身。初め曹洞宗の東谷明光に師事し、ついで天目山に登った。その後径山の石渓心月に参禅してその法を継いだ。文永6年(1269年)、幕府の執権北条時宗の招聘により来日。鎌倉の禅興寺に入り、文永9年(1272年)建長寺第3世住持となり、さらに寿福寺に住した。弘安7年(1284)円覚寺に第2世として住持した。寿福寺に住し、浄智寺を開創している。正応2年(1289年)病となり正観寺に移り、11月29日、75歳で寂し、寿福寺に遺骨が収められ、のち仏源禅師と諡された。長期間の日本滞在により鎌倉における禅林の確立に力を尽くし、時宗を初め、子の貞時や時宗の弟の宗政など鎌倉武士に大きな感化を与えた。
外部リンク
佛学規範庫「正念」[1]
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