中峰明本とは? わかりやすく解説

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中峰明本

元代臨済宗の僧。浙江省銭塘の人。俗姓孫氏、号は中峰天目山高峰妙に就いてその法を嗣ぐ終生官寺住まず、自ら「幻住」と称して遊歴隠遁の生活を送る。その間多く雲衲を接化し江南古仏呼ばれた仁宗皇帝より仏慈円照広慧禅師号賜わる至治3年(1323)寂、61才。智覚禅師・普応国師謚号される。

中峰明本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 11:56 UTC 版)

中峰明本
景定4年11月2日 - 至治3年8月14日
1263年12月3日 - 1323年9月14日
諡号 智覚禅師・普応国師
尊称 仏慈円照広慧禅師
生地 杭州銭塘県
宗派 臨済宗楊岐派(破庵派)
寺院 大覚寺、幻住庵
高峰原妙
著作 『天目中峰和尚広録』
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中峰明本(ちゅうほう みんぽん)は、中国代の禅僧智覚禅師。俗姓は孫。号は中峰、または幻住道人。杭州銭塘県の出身。南嶽懐譲下の第22世に当たる。

生涯

9歳で母と死別し、幼くして仏に帰心し、15歳で出家を志した。若くして『法華経』・『円覚経』・『金剛経』などの経典を読誦し、燃指供養を実践するなど、講学と修行につとめた。

至元23年(1286年)、天目山獅子巌の高峰原妙に師事して剃度し、至元25年(1288年)に具足戒を受け、翌年には師の心印を伝授された。原妙の没した元貞元年(1295年)、師は明本に住寺の大覚寺を継がせようとしたが、明本は頑として受けず、第一座の僧に継がせて、自身は山を下りた。

その後、各地を遊方行脚して、修行と教化につとめた。定住処を持たず、「幻住庵」と名づけた庵を各地に造って、そこに仮寓した。また、時に天目山にも帰山したりした。霊隠寺径山から招かれても応じず、延祐5年(1318年)には仁宗によって宮中に召されたが、応じなかった。それでも、金襴の袈裟を下賜され、仏慈円照広慧禅師の号、さらに「師子正宗寺」の院号を賜った。また、英宗からも尊崇され、顕貴の中にも、明本に師事した者が少なくない。趙孟頫とも交遊した。

明本はとの調和融合を主張し、また一方で「一致」や「禅一体」をも主張している。実際、明本は浄土信仰者であり、「観念阿弥陀仏偈」や「懐浄土詩百篇」を著述している。至治3年(1323年)8月14日、61歳で没した。文宗は智覚禅師と諡し、塔を法雲と号した。

元統2年(1334年)、順帝が『天目中峰和尚広録』30巻を入蔵させ、普応国師と加諡した。

参禅した日本人の入元僧

著作

  • 『幻住庵清規』
  • 『一華五葉』
  • 『東語西語』
  • 『幻住家訓』

伝記資料

  • 『天目中峰和尚広録』
    • 「仏慈円照広慧禅師中峰和尚行録」
    • 「智覚禅師法雲塔銘」
    • 「普応国師道行碑」
  • 『仏祖歴代通載』巻36
  • 『釈氏稽古略続集』
    • 「五燈厳燈」21
    • 「浄土聖賢録」4

中峰明本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)

禅林墨跡」の記事における「中峰明本」の解説

詳細は「中峰明本」を参照 中峰明本は、高峰原妙の法嗣元代一級高僧である。放浪して居所定めず、自ら幻住(げんじゅう)と称しいたるところ幻住庵構えた能書趙孟頫深く中峰帰依していたことは、趙孟頫の『与中峰明本書』(尺牘)によって知られるが、中峰呉中現在の蘇州市)に庵を構えるとき、馮子振が泥を煉り趙孟頫運搬し中峰が壁を塗ったという説話伝えられている。 中峰は書をよくしたが、その書は破格であり、露鋒扁平な筆画笹の葉似ていることから、中国では柳葉体・柳葉書などといわれ、日本では古来笹の葉書き呼んでいる。ただし篆書一体に西晋衛瓘作ったとされる柳葉篆というものがあり、中峰の書は厳密にいえば必ずしも独創的なものではない。 中峰参じた多く日本人入元僧(復庵宗己・遠渓祖雄・古先印元など)が帰朝後中峰倣って放浪の生活を好んだため、一括して幻住派(遠渓祖雄を祖とする)と呼ばれる。著に『幻住庵清規』など多数知られる与済侍者法語与済侍者法語』(せいじしゃにあたう ほうご)は、中峰が済侍者なるものに書き与えた法語書写年代不明である。また済侍者が誰のことも明らかではないが、鉄舟徳済との説がある。紙本17行、31.5cm×67.2cm。常盤山文庫重要文化財幻住庵勧縁疏幻住庵勧縁疏』(げんじゅうあん かんえんしょ)は、呉中幻住庵1300年創建)の腐朽はなはだしいため、中峰檀那書いた勧縁疏延祐末年から至治にかけて(1320年 - 1321年)の晩年の書と推定されている。五島美術館

※この「中峰明本」の解説は、「禅林墨跡」の解説の一部です。
「中峰明本」を含む「禅林墨跡」の記事については、「禅林墨跡」の概要を参照ください。

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