中峰明本
中峰明本
中峰明本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)
詳細は「中峰明本」を参照 中峰明本は、高峰原妙の法嗣、元代一級の高僧である。放浪して居所を定めず、自ら幻住(げんじゅう)と称し、いたるところに幻住庵を構えた。能書の趙孟頫が深く中峰に帰依していたことは、趙孟頫の『与中峰明本書』(尺牘)によって知られるが、中峰が呉中(現在の蘇州市)に庵を構えるとき、馮子振が泥を煉り、趙孟頫が運搬し、中峰が壁を塗ったという説話が伝えられている。 中峰は書をよくしたが、その書は破格であり、露鋒で扁平な筆画が柳や笹の葉に似ていることから、中国では柳葉体・柳葉書などといわれ、日本では古来、笹の葉書きと呼んでいる。ただし篆書の一体に西晋の衛瓘が作ったとされる柳葉篆というものがあり、中峰の書は厳密にいえば必ずしも独創的なものではない。 中峰に参じた多くの日本人入元僧(復庵宗己・遠渓祖雄・古先印元など)が帰朝後、中峰に倣って放浪の生活を好んだため、一括して幻住派(遠渓祖雄を祖とする)と呼ばれる。著に『幻住庵清規』など多数が知られる。 与済侍者法語 『与済侍者法語』(せいじしゃにあたう ほうご)は、中峰が済侍者なるものに書き与えた法語。書写年代は不明である。また済侍者が誰のことも明らかではないが、鉄舟徳済との説がある。紙本17行、31.5cm×67.2cm。常盤山文庫蔵。重要文化財。 幻住庵勧縁疏 『幻住庵勧縁疏』(げんじゅうあん かんえんしょ)は、呉中の幻住庵(1300年創建)の腐朽がはなはだしいため、中峰が檀那に書いた勧縁疏。延祐末年から至治にかけて(1320年 - 1321年)の晩年の書と推定されている。五島美術館蔵。
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