中峰明本とは? わかりやすく解説

中峰明本

元代臨済宗の僧。浙江省銭塘の人。俗姓孫氏、号は中峰天目山高峰妙に就いてその法を嗣ぐ終生官寺住まず、自ら「幻住」と称して遊歴隠遁の生活を送る。その間多く雲衲を接化し江南古仏呼ばれた仁宗皇帝より仏慈円照広慧禅師号賜わる至治3年(1323)寂、61才。智覚禅師・普応国師謚号される。

中峰明本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 11:56 UTC 版)

中峰明本(ちゅうほう みんぽん)は、中国代の禅僧智覚禅師。俗姓は孫。号は中峰、または幻住道人。杭州銭塘県の出身。南嶽懐譲下の第22世に当たる。




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中峰明本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)

禅林墨跡」の記事における「中峰明本」の解説

詳細は「中峰明本」を参照 中峰明本は、高峰原妙の法嗣元代一級高僧である。放浪して居所定めず、自ら幻住(げんじゅう)と称しいたるところ幻住庵構えた能書趙孟頫深く中峰帰依していたことは、趙孟頫の『与中峰明本書』(尺牘)によって知られるが、中峰呉中現在の蘇州市)に庵を構えるとき、馮子振が泥を煉り趙孟頫運搬し中峰が壁を塗ったという説話伝えられている。 中峰は書をよくしたが、その書は破格であり、露鋒扁平な筆画笹の葉似ていることから、中国では柳葉体・柳葉書などといわれ、日本では古来笹の葉書き呼んでいる。ただし篆書一体に西晋衛瓘作ったとされる柳葉篆というものがあり、中峰の書は厳密にいえば必ずしも独創的なものではない。 中峰参じた多く日本人入元僧(復庵宗己・遠渓祖雄・古先印元など)が帰朝後中峰倣って放浪の生活を好んだため、一括して幻住派(遠渓祖雄を祖とする)と呼ばれる。著に『幻住庵清規』など多数知られる与済侍者法語与済侍者法語』(せいじしゃにあたう ほうご)は、中峰が済侍者なるものに書き与えた法語書写年代不明である。また済侍者が誰のことも明らかではないが、鉄舟徳済との説がある。紙本17行、31.5cm×67.2cm。常盤山文庫重要文化財幻住庵勧縁疏幻住庵勧縁疏』(げんじゅうあん かんえんしょ)は、呉中幻住庵1300年創建)の腐朽はなはだしいため、中峰檀那書いた勧縁疏延祐末年から至治にかけて(1320年 - 1321年)の晩年の書と推定されている。五島美術館

※この「中峰明本」の解説は、「禅林墨跡」の解説の一部です。
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