楊岐派とは? わかりやすく解説

ようぎ‐は〔ヤウギ‐〕【×楊岐派】

読み方:ようぎは

臨済宗一派で、中国禅宗五家七宗の一。臨済宗第七祖の円の門下である楊岐方会(ほうえ)を祖とし、宋代おこった日本では禅宗二四流の中で道元慧日(えにち)・永璵(えいよ)・栄西の四派を除いてこの系統属する。楊岐宗


楊岐方会

(楊岐派 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 15:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

楊岐方会(楊岐方會、ようぎ ほうえ、淳化3年(992年) - 皇祐元年(1049年[1])は、中国宋代臨済宗。俗姓は冷。袁州宜春県の出身。後世五家七宗の一つに数えられる楊岐派の祖として知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものを除く全てがこの楊岐派に属する。

概要

筠州にあった古刹の九峰寺で出家得度し、諸国を行脚した後石霜楚円の門下となる。師に従って潭州瀏陽道吾山、瀏陽石霜山へと移り大悟した。筠州九峰寺に戻った後、請われて袁州楊岐山の普明院の住持となる。慶暦6年(1046年)には潭州雲蓋山(望城区)の海会寺へ移り、皇祐元年(1049年)に示寂

法嗣は白雲守端、茶陵郁山主、石霜守孫、長慶顕瓊、君山守巽、法輪惟一、欽山智因、比部孫居士および保寧仁勇がいる[2]。語録に『楊岐會和尚語録』、『楊岐會和尚後録』及び『楊岐會和尚語要』がある。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『新版 禅学大辞典』p1119
  2. ^ 『新版 禅学大辞典』禅宗法系譜p13

参考文献

  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p1119 1985年
  • 伊吹 敦『禅の歴史』p86 2001年

楊岐派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)

「禅」の記事における「楊岐派」の解説

黄龍派同様に方会系統勢力伸ばし七宗一に数えられるまでになった白雲守端門下五祖法演出て、その門弟より、圜悟克勤仏鑑慧懃仏眼清遠という、三仏と称される禅匠が現われた。南宋になっても、その勢いとどまらず、克勤の門弟子大慧宗杲多数門弟集め大慧派形成した。その他、虎丘紹隆虎丘派虚堂智愚出した松源派無準師範出した破庵派なども活躍した

※この「楊岐派」の解説は、「禅」の解説の一部です。
「楊岐派」を含む「禅」の記事については、「禅」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「楊岐派」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「楊岐派」の関連用語

1
楊岐宗 デジタル大辞泉
100% |||||

2
90% |||||



5
74% |||||

6
臨済宗 デジタル大辞泉
58% |||||

7
58% |||||



10
52% |||||

楊岐派のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



楊岐派のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの楊岐方会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの禅 (改訂履歴)、禅林墨跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS